・・・ 新聞記事によると、アメリカでは太平洋上に浮き飛行場を設けて横断飛行の足がかりにする計画があるということである。うそかもしれないがしかしアメリカ人にとっては充分可能なことである。もしこれが可能とすれば、洋上に浮き観測所の設置ということも・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・多くの人の玩弄物になると同時に、多くの人を弄んで、浮きつ沈みつ定めなき不徳と淫蕩の生涯の、その果がこの河添いの妾宅に余生を送る事になったのである。深川の湿地に生れて吉原の水に育ったので、顔の色は生れつき浅黒い。一度髪の毛がすっかり抜けた事が・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・女の頬には乳色の底から捕えがたき笑の渦が浮き上って、瞼にはさっと薄き紅を溶く。「縫えばどんな色で」と髯あるは真面目にきく。「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹の糸、夜と昼との界なる夕暮の糸、恋の色、恨みの色は無・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・押し分けられた葉の再び浮き上る表には、時ならぬ露が珠を走らす。 舟は杳然として何処ともなく去る。美しき亡骸と、美しき衣と、美しき花と、人とも見えぬ一個の翁とを載せて去る。翁は物をもいわぬ。ただ静かなる波の中に長き櫂をくぐらせては、くぐら・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 太陽はいまはすっかり午睡のあとの光のもやを払いましたので山脈も青くかがやき、さっきまで雲にまぎれてわからなかった雪の死火山もはっきり土耳古玉のそらに浮きあがりました。 洋傘直しは引き出しから合せ砥を出し一寸水をかけ黒い滑らかな石で・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・ 皮相的な、浮きあがった表現の著しい例をわれわれは、この小説のクライマックスともいうべき「共同視察」の場面に発見する。ドヤドヤと視察者が入ってくる。佐田はさすがに「厄介なことになった」と思うが、あくまで自由な質問応答をやり、「活溌にやる・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・ 現実のその苦しさから、意識を飛躍させようとして、たとえばある作家の作品に描かれているように、バリ島で行われている原始的な性の祭典の思い出や南方の夜のなかに浮きあがっている性器崇拝の彫刻におおわれた寺院の建物の追想にのがれても、結局・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・つけたる白石の棚に、代々の君が美術に志ありてあつめたまいぬる国々のおお花瓶、かぞうる指いとなきまで並べたるが、乳のごとく白き、琉璃のごとく碧き、さては五色まばゆき蜀錦のいろなるなど、蔭になりたる壁より浮きいでて美わし。されどこの宮居に慣れた・・・ 森鴎外 「文づかい」
・・・そして、一時間の後には旭の紋の浮き上った四角い大きな箱棺が安次の小屋へ運ばれていた。十六「こりゃ上等や。こんなんなら俺でも這入りたいが。どうや伯母やん、一寸這入ってみやえ。」と秋三はお霜に云って、勘次の造って来た箱棺を叩いて・・・ 横光利一 「南北」
・・・丘の花壇は、魚の波間に忽然として浮き上った。薔薇と鮪と芍薬と、鯛とマーガレットの段階の上で、今しも日光室の多角な面が、夕日に輝きながら鋭い光鋩を眼のように放っていた。「しかし、この魚にとりまかれた肺病院は、この魚の波に攻め続けられている・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫