・・・「おじさん、そんならほかにも、金の鶏が浮く池があるんですか。」と、信吉は、不思議そうに、紳士を見上げたのでした。「ありますよ。たぶん、私は、そんなうわさがあるところでないかと思って、ここへ立ち寄ってみたのです。古墳のある丘や、畑には・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・などを彼女に持って行くという歯の浮くような通いかたをした挙句、静子に誘われてある夜嵐山の旅館に泊った。寝ることになり、私はわざとらしく背中を向けて固くなっていたが、一つにはそれが二人にふさわしいと思ったのだ。それほど静子は神聖な女に見えてい・・・ 織田作之助 「世相」
・・・自分ながら呆れるほど、歯の浮くような、いやらしいお世辞なども書くのである。どうしてだろう。なぜ私は、こんなに、戦線の人に対して卑屈になるのだろう。私だって、いのちをこめて、いい芸術を残そうと努めている筈では無かったか。そのたった一つの、ささ・・・ 太宰治 「鴎」
・・・環境には何ら科学的の刺戟はなかったが、塩水に卵の浮く話を聞いて喜んで実験したり、機関車二台つけた汽車を見てその効能を考えたりした。伯母に貰った本で火薬の製法を知り、薬屋でその材料を求めて製造にかかっているところを見付かって没収された話もある・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・けれどもそういう明い晴やかな場所へ意気揚々と出しゃばるのは、自分なぞが先に立ってやらずとも、成功主義の物欲しい世の中には、そういう処へ出しゃばって歯の浮くような事をいいたがる連中が、あり余って困るほどある事を思返すと、先生はむしろ薄寒い妾宅・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・知人の婚礼にも葬式にも行かないので、歯の浮くような祝辞や弔辞を傾聴する苦痛を知らない。雅叙園に行ったこともなければ洋楽入の長唄を耳にしたこともない。これは偏に鰥居の賜だといわなければならない。 ○ 森鴎外先生が・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・けきぜんと故なきに響を起して、白き筋の横縦に鏡に浮くとき、その人末期の覚悟せよ。――シャロットの女が幾年月の久しき間この鏡に向えるかは知らぬ。朝に向い夕に向い、日に向い月に向いて、厭くちょう事のあるをさえ忘れたるシャロットの女の眼には、霧立・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・だが、汗は出たが、いい考えが浮く筈がなかった。「明日でもいいでしょう、と云ったんだが、どうしても直ぐにって署長の命令だからね、済まないが、直ぐに来て貰いたいんだ。直ぐに帰すからね」 中村は、こう云うと、又煽ぎ立てた。「何しろ・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・それを聞く嬉しさ、身も浮くばかりに思う傍から、何奴かがそれを打ち消す、平田はいよいよ出発したがと、信切な西宮がいつか自分と差向いになッて慰めてくれる。音信も出来ないはずの音信が来て、初めから終いまで自分を思ッてくれることが書いてあッて、必ず・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・けれども陸羽一三二号のほうは三割ぐらいしか浮く分がなかった。それでも塩水選をかけたので恰度六斗あったから本田の一町一反分には充分だろう。とにかく僕は今日半日で大丈夫五十円の仕事はした訳だ。なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反当二石・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫