・・・路傍の小さな草の影もおびただしく長く、東方の丘陵は浮き出すようにはっきりと見える。さびしい悲しい夕暮れは譬え難い一種の影の力をもって迫ってきた。 高粱の絶えたところに来た。忽然、かれはその前に驚くべき長大なる自己の影を見た。肩の銃の影は・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・その間が白く曇って左右の鼠をかえって浮き出すように彩った具合がことさらに凄かった。余が池辺邸に着くまで空の雲は死んだようにまるで動かなかった。 二階へ上って、しばらく社のものと話した後、余は口の利けない池辺君に最後の挨拶をするために、階・・・ 夏目漱石 「三山居士」
・・・けれ共、紅の日輪が全く山の影に、姿をかくした時、川面から、夕もやは立ちのぼって、うす紫の色に四辺をとざす間もなく、真黒に浮出す連山のはざまから黄金の月輪は団々と差しのぼるのである。この時、無窮と見えた雲の運動は止まって、踏むさえ惜しい黄金の・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫