・・・ したがって写生文家の描く所は多く深刻なものでない。否いかに深刻な事をかいてもこの態度で押して行くから、ちょっと見ると底まで行かぬような心持ちがするのである。しかのみならずこの態度で世間人情の交渉を視るからたいていの場合には滑稽の分子を・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・変形のうちもっとも深き理想を実現する人を、深刻に人生に触れた人と申します。変形のうちもっとも広き理想を実現する人を、広く人生に触れた人と申します。この三つを兼ねて、完全なる技巧によりてこれを実現する人を、理想的文芸家、すなわち文芸の聖人と云・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・それは知識と真実在との深刻なる対決である。しかし真実在の問題は不可知的なる物自体の問題として捨てられた。問題を打ち切ってしまえばそれまでであるが、そこに多く問題が残されているといわざるを得ない。哲学は主観主義的となった。無論それを心理主義的・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・その生物とは何であるか、そのことあまりに深刻にして諸氏の胸を傷つけるであろうがこれ真理であるから避け得ない、率直に述べようと思う。総ての生物はみな無量の劫の昔から流転に流転を重ねて来た。流転の階段は大きく分けて九つある。われらはまのあたりそ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・今日、豊年という日本の秋には、深刻な失業の問題が私たちをおびやかしていてその対象は先ず婦人青年です。国鉄を見てもそれはすぐわかります。この間の踊を熱中したのはどんな人々でしたろう。若い婦人若い男の人たちでした。太鼓は鳴ります。うたがきこえま・・・ 宮本百合子 「朝の話」
一 第二次ヨーロッパ大戦は、私たち現世紀の人間にさまざまの深刻な教訓をあたえた。そのもっとも根本的な点は国際間の複雑な利害矛盾の調整は、封建的で、また資本主義的な強圧であるナチズムやファシズムでは・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・これは処世法の最深刻なるものかも知れない。これに反して、人に余儀なくせられたのでなく、ことさらに自家の醜を白状した人が稀にはある。ルソオの如きがそれである。しかしルソオは精神病になり掛かっていたらしい。私の誤訳を指摘してくれられた人達の指摘・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・そうして彼の田虫は彼の腹へ癌のようにますます深刻に根を張っていった。この腹に田虫を繁茂させながら、なおかつヨーロッパの天地を攪乱させているナポレオンの姿を見ていると、それは丁度、彼の腹の上の奇怪な田虫が、黙々としてヨーロッパの天地を攪乱して・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・時々身ぶりをするけれども決して相手に触れたり、腕に手を置いたりなどはしない。深刻な眼は相手の人の額の後ろに隠れている思想を見徹しているようだ。肉体と肉体とがいかに接近してもそれは彼女には気にならないので、ただ魂と魂との接近のみ感じるのである・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・かえって強烈に深刻に現われて行く。 ――こういう事を考えるようになってから自分はどういう風に変化したか。自分の内にあって自分を軽蔑する者がますます強くなって来たばかりである。 しかし我を斥けようとする要求は、今自分の内に最も切実に活・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
出典:青空文庫