・・・地獄の炎に焼かれた物なら、こんなに清浄ではいない筈です。さあ、もう呪文なぞを唱えるのはおやめなさい。」 オルガンティノはやむを得ず、不愉快そうに腕組をしたまま、老人と一しょに歩き出した。「あなたは天主教を弘めに来ていますね、――」・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・由来子供は――殊に少女は二千年前の今月今日、ベツレヘムに生まれた赤児のように清浄無垢のものと信じられている。しかし彼の経験によれば、子供でも悪党のない訣ではない。それをことごとく神聖がるのは世界に遍満したセンティメンタリズムである。「お・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・舎衛城の中でも最も貧しい、同時に最も心身の清浄に縁の遠い人々の一人である。 ある日の午後、尼提はいつものように諸家の糞尿を大きい瓦器の中に集め、そのまた瓦器を背に負ったまま、いろいろの店の軒を並べた、狭苦しい路を歩いていた。すると向うか・・・ 芥川竜之介 「尼提」
・・・無一物な清浄な世界にクララの魂だけが唯一つ感激に震えて燃えていた。死を宣告される前のような、奇怪な不安と沈静とが交る交る襲って来た。不安が沈静に代る度にクララの眼には涙が湧き上った。クララの処女らしい体は蘆の葉のように細かくおののいていた。・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・我々は彼の純粋にてかつ美しき感情をもって語られた梁川の異常なる宗教的実験の報告を読んで、その遠神清浄なる心境に対してかぎりなき希求憧憬の情を走らせながらも、またつねに、彼が一個の肺病患者であるという事実を忘れなかった。いつからとなく我々の心・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 明神は女体におわす――爺さんがいうのであるが――それへ、詣ずるのは、石段の上の拝殿までだが、そこへ行くだけでさえ、清浄と斎戒がなければならぬ。奥の大巌の中腹に、祠が立って、恭しく斎き祭った神像は、大深秘で、軽々しく拝まれない――だから・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・裏の崖境には、清浄なのが沢山あるから、御休息かたがた。で、ものの言いぶりと人のいい顔色が、気を隔かせなければ、遠慮もさせなかった。「丁ど午睡時、徒然でおります。」 導かるるまま、折戸を入ると、そんなに広いと言うではないが、谷間の一軒・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ そのはにかんでいる様子は、今日まで多くの男をだまして来た女とは露ほども見えないで、清浄無垢の乙女がその衣物を一枚一枚剥がれて行くような優しさであった。僕が畜生とまで嗅ぎつけた女にそんな優しみがあるのかと、上手下手を見分ける余裕もなく、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・降るような星空を想った。清浄な空気に渇えた。部屋のどこからも空気の洩れるところがないということが、ますます息苦しく胸をしめつけた。明けはなたれた窓にあこがれた。いきなりシリウス星がきらめいた。私ははっと眼をあけた。蜘蛛の眼がキラキラ閃光を放・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけて・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
出典:青空文庫