・・・が、その社会的位置に相応する堂々たる生活をしていたので、濁富でないまでも清貧を任ずるには余りブールジョア過ぎていた。それにもかかわらず、何かというと必要もないのに貧乏を揮廻していた。 沼南が今の邸宅を新築した頃、偶然訪問して「大層立派な・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・然るに文人に強うるに依然清貧なる隠者生活を以てし文人をして死したる思想の木乃伊たらしめんとする如き世間の圧迫に対しては余り感知せざる如く、蝸牛の殻に安んじて小ニヒリズムや小ヘドニズムを歌って而して独り自ら高しとしておる。一部の人士は今の文人・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・物質的計画をきわめて困難な、不可能に近いものに考えさせるようになる。物質的清貧の中で精神的仕事に従うというようなことは夢にも考えられなくなる。一口にいえば、学生時代の汚れた快楽の習慣は必ず精神的薄弱を結果するものだ。そして将来社会的に劣弱者・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・よく私に清いという言葉をつけて、『清貧』と私を呼んで呉れる人もあるが、ほんとうの私はそんな冷かなものでは無い。私は自分の歩いた足跡に花を咲かせることも出来る。私は自分の住居を宮殿に変えることも出来る。私は一種の幻術者だ。斯う見えても私は世に・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・「まったくだと思いますよ。清貧なんてあるものか。金があったらねえ。」「どうしたのです。へんに搦みつくじゃないか。」 僕は膝をくずして、わざと庭を眺めた。いちいちとり合っていても仕様がないと思ったのである。「百日紅がまだ咲いていま・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・孤高、清貧、思索、憂愁、祈り、シャヴァンヌ、その他いろいろございました。あなたは、あとでお客様とその新聞の記事に就いてお話なされ、割合、当っていたようだね、等と平気でおっしゃって居られましたが、まあ何という事を、おっしゃるのでしょう。私たち・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・私はこの好色の理想のために、財を投げ打ち、衣服を投げ打ち、靴を投げ打ち、全くの清貧になってしまった。そうして、私は、この好色の理想を、仮りに名付けて、「ロマンチシズム」と呼んでいる。 すでに幼時より、このロマンチシズムは、芽生えていたの・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・のみやびをもしたひ学ばや、さらば常の心の汚たるを洗ひ浮世の外の月花を友とせむにつきつきしかるべしかし、かくいふは参議正四位上大蔵大輔源朝臣慶永元治二年衣更著末のむゆか、館に帰りてしるす 曙覧が清貧に処して独り安んずるの様、はた春岳が・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫