・・・のみならずちょうど寝棺の前には若い本願寺派の布教師が一人、引導か何かを渡していた。 こう言う半三郎の復活の評判になったのは勿論である。「順天時報」はそのために大きい彼の写真を出したり、三段抜きの記事を掲げたりした。何でもこの記事に従えば・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・川森は財布から五十銭銀貨を出してそれを妻の手に渡した。何しろ帳場につけとどけをして置かないと万事に損が行くから今夜にも酒を買って挨拶に行くがいいし、プラオなら自分の所のものを借してやるといっていた。仁右衛門は川森の言葉を聞きながら帳場の姿を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 汐が入ると、さて、さすがに濡れずには越せないから、此処にも一つ、――以前の橋とは間十間とは隔たらぬに、また橋を渡してある。これはまた、纔かに板を持って来て、投げたにすぎぬ。池のつづまる、この板を置いた切れ口は、ものの五歩はない。水は川・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 堀形をした細長い田に、打ち渡した丸木橋を、車夫が子どもひとりずつ抱きかかえて渡してくれる。姉妹を先にして予は桑畑の中を通って珊瑚樹垣の下をくぐった。 家のまわりは秋ならなくに、落葉が散乱していて、見るからにさびしい。生垣の根にはひ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・目的はピー砲台じゃ、その他の命令は出さんから、この川を出るが最後、個々の行動を取って進めという命令が、敵に悟られん様に、聨隊長からひそかに、口渡しで、僕等に伝えられ、僕等は今更電気に打たれた様に顫たんやが、その日の午後七時頃、いざと一同川を・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・淡島屋のでなければ軽焼は風味も良くないし、疱瘡痲疹の呪いにもならないように誰いうとなく言い囃したので、疱瘡痲疹の流行時には店前が市をなし、一々番号札を渡して札順で売ったもんだ。自然遅れて来たものは札が請取れないから、前日に札を取って置いて翌・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それから女に拳銃を渡して、始めての射撃をさせた。 女は主人に教えられた通りに、引金を引こうとしたが、動かない。一本の指で引けと教えられたに、内々二本の指を掛けて、力一ぱいに引いて見た。その時耳ががんと云った。弾丸は三歩程前の地面に中って・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・と、きよに、鉛筆を渡しました。きよは、ほんとうに、うれしく思いました。「きよの田舎には、やまゆりがたくさん咲くの?」「山へゆくと、たくさんございます。」「うちの花壇のが、咲いたからいってみましょうよ。」と、光子さんは、きよをつれ・・・ 小川未明 「気にいらない鉛筆」
・・・そりゃ三文渡しの船頭も船乗りなりゃ川蒸気の石炭焚きも船乗りだが、そのかわりまた汽船の船長だって軍艦の士官だってやっぱり船乗りじゃねえか。金さんの話で見りゃなかなか大したものだ、いわば世界中の海を跨にかけた男らしい為事で、端月給を取って上役に・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・豹一が高等学校へはいるとき、安二郎はお君に五十円の金を渡した。貰ったものだと感謝していたところ、こともあろうに、安二郎はそれを高利で貸したつもりでいたのだ。 豹一は毎朝新聞がはいると、飛びついて就職案内欄を見た。履歴書を十通ばかり書いた・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫