・・・それなら、彼は日本にも渡来した事がありはしないか。現代の日本は暫く措いても、十四世紀の後半において、日本の西南部は、大抵天主教を奉じていた。デルブロオのビブリオテエク・オリアンタアルを見ると、「さまよえる猶太人」は、十六世紀の初期に当って、・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・天主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とともに、はるばる南蛮から輸入された西洋築城術の産物であるが、自分たちの祖先の驚くべき同化力は、ほとんど何人もこれに対してエキゾティックな興味を感じえないまでに、その屋根と壁とをことごとく日本化し去・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・明治の初年に渡来した英国人の画家ワグマンとも深く交わった。特にワグマンについて真面目に伝習したとは思われないが、ブラシの使い方や絵具の用法等、洋画のテクニックの種々の知識を教えられた事はあるようだ。明治八、九年頃の画家番附に淡島椿岳の上に和・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・想えばげすの口の端に、掛って知った醜さは、南蛮渡来の豚ですら、見れば反吐をば吐き散らし、千曲川岸の河太郎も、頭の皿に手を置いて、これはこれはと呆れもし、鳥居峠の天狗さえ、鼻うごめいて笑うという、この面妖な旗印、六尺豊かの高さに掲げ、臆面もな・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・ 仏教が渡来するに及んで咒詛の事など起ったろうが、仏教ぎらいの守屋も「さま/″\のまじわざものをしき」と水鏡にはあるから、相手が外国流で己を衛り人を攻むれば、こちらも自国流の咒詛をしたのかも知れぬ。しかし水鏡は信憑すべき書ではない。・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・実際アイヌの先祖の言葉であるのか、また我々の先祖の言葉が今のアイヌの言語に混入しているのか、あるいは朝鮮、支那、前インド、南洋から後に渡来したのがアイヌの先祖と吾等の先祖の言語に混合しているのかそれはなかなか容易に決定し難い問題である。・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・これらの事実は植物に関することであるが、しかしまた、日本国民を組成しているいろいろな人種的民族的要素の出所とその渡来の経路を考察せんとする人々にとってはこの植物界の事実が非常に意味の深い暗示の光を投げかけるものと言わなければならない。 ・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・これはこの表題の示すごとく、日本国語の根源が南洋にある事を論証し、従って国民祖先の大部分もまた南洋から渡来したものだと論断しようとするものである。この学説の当否についてはもちろん種々の議論があるであろうが、ここではもちろんそれは問題にしない・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・オペラ一座の渡来も要するに幸を東亜に与えた戦禍の一現象である。当時巴里に於て、一邦人が独力にしてマネエ、ロダンの如き巨匠の製作品と、又江戸浮世絵の蒐集品とを仏蘭西人の手より買取ったことがあった。是亦戦争の余沢である。オペラは帝国劇場を主管す・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・然るに嘉永の季、亜美利駕人、我に渡来し、はじめて和親貿易の盟約を結び、またその好を英、仏、魯等の諸国に通ぜしより、我が邦の形勢、ついに一変し、世の士君子、皆かの国の事情に通ずるの要務たるを知り、よって百般の学科、一時に興り、おのおのその学を・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
出典:青空文庫