・・・ この棟の低い支那家の中には、勿論今日も坎の火っ気が、快い温みを漂わせていた。が、物悲しい戦争の空気は、敷瓦に触れる拍車の音にも、卓の上に脱いだ外套の色にも、至る所に窺われるのであった。殊に紅唐紙の聯を貼った、埃臭い白壁の上に、束髪に結・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 当てもないままに、赤井はひょこひょことさまようていたが、やがて耳の千切れるような寒さにたまりかねたのか、わずかの温みを求めて、足は自然に難波駅の地下鉄の構内に向いた。 そして構内に蠢いている浮浪者の群れの中にはいった赤井は、背中に・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・煤で光るたるきの下に大きな炉が一つ切ってあって、その炉の灰ばかりが、閉め切った雨戸の節穴からさし込む日光の温みにつれ、秋の末らしく湿り、また春の始めらしく軽く乾く。――微かな生きものだ。 侘しい古い家も、七月になると一時に雨戸という雨戸・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・ 十幾年振りかで故国に帰り、それと、結婚したからこそ帰る気にもなったと云うような彼に対して、自分は、あらゆる温みをこめて、此小世界に幾月かを費すことを信じて居た。 私の部屋として建てられた八畳と四畳ほどの部屋は、自分等二人を容れるに・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・ ―――――――――――― 水が温み、草が萌えるころになった。あすからは外の為事が始まるという日に、二郎が邸を見廻るついでに、三の木戸の小屋に来た。「どうじゃな。あす為事に出られるかな。大勢の人のうちには病気でおるも・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫