・・・ 仔細は…… 六 ……さて、やがて朝湯から三人が戻って来ると、長いこと便所に居た熊沢も一座で、また花札を弄ぶ事になって、朝飯は鮨にして、湯豆腐でちょっと一杯、と言う。 この使のついでに、明神の石坂、開化楼・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 湯豆腐屋で名高い高津神社の附近には薬屋が多く、表門筋には「昔も今も効能で売れる七福ひえぐすり」の本舗があり、裏門筋には黒焼屋が二軒ある。元祖本家黒焼屋の津田黒焼舗と一切黒焼屋の高津黒焼惣本家鳥屋市兵衛本舗の二軒が隣合せに並んでいて、ど・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮、千日前常盤座横・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・のゆとりを感じた一時期は、私が三十歳の時、いまの女房を井伏さんの媒酌でもらって、甲府市の郊外に一箇月六円五十銭の家賃の、最小の家を借りて住み、二百円ばかりの印税を貯金して誰とも逢わず、午後の四時頃から湯豆腐でお酒を悠々と飲んでいたあの頃であ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・「何でもいいよ。湯豆腐は結構だね」「それでよござんすね。じゃア、花魁お連れ申して下さい」 吉里は何も言わず、ついと立ッて廊下へ出た。善吉も座敷着を被ッたまま吉里の後から室を出た。「花魁、お手拭は」と、お熊は吉里へ声をかけた。・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・それからふろふき大根。湯豆腐。 特徴ある随筆の筆者斎藤茂吉氏は覊旅蕨という小品を与えた。 同行二人谷譲次氏は新世界巡礼の途についた。そして Mem タニが女性の適応性によって、キャパンの流行巴里料理を通じ熱心に one of the・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
出典:青空文庫