・・・即ち、母親の言葉は、即ち将来への指導となり、その愛情に満ちた温顔は、美の標準となり、また、母のしたことはすべて正しいと信じ、それが子供の心となり、血となるからです。 されば、聡明な母親は、子供のために、自からの向上を怠ってはならぬ。言う・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・しかも世相は私のこれまでの作品の感覚に通じるものがあり、いわば私好みの風景に満ちている。横堀の話はそれを耳かきですくって集めたようなものである。けちくさい話だが、世相そのものがけちくさく、それがまた私の好みでもあろう。 ペンを取ると、何・・・ 織田作之助 「世相」
・・・自分は自分の愛するものは他人も愛するにちがいないという好意に満ちた考えで話をしていたと思っていた。しかしその少し強制がましい調子のなかには、自分の持っている欲望を、言わば相手の身体にこすりつけて、自分と同じような人間を製造しようとしていたよ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・源叔父は五人の客乗せて纜解かんとす、三人の若者駈けきたりて乗りこめば舟には人満ちたり。島にかえる娘二人は姉妹らしく、頭に手拭かぶり手に小さき包み持ちぬ。残り五人は浦人なり、後れて乗りこみし若者二人のほかの三人は老夫婦と連の小児なり。人々は町・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・如何に多くのイデアリストの憧憬に満ちたる青年が、このことからたちまち壮年の世俗的リアリズムに転落したことであろうか。 かりに既婚者の男子が一人の美しき娘を見るのと、未婚者の男子がそうするのとでは、後者の方がはるかに憧憬に満ちたものである・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・………… ウォルコフは、憎悪に満ちた眼で窓から、丘に現れた兵士を見ていた。 丘に散らばった兵士達は、丘を横ぎり、丘を下って、喜ばしそうに何か叫びながら、村へ這入ってきた。そのあとへ、丘の上には、また、別な機関銃を持った一隊が現れてき・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・夜の涼しさは座敷に満ちた。 幸田露伴 「太郎坊」
・・・悦気面に満ちて四百五百と入り揚げたトドの詰りを秋子は見届けしからば御免と山水と申す長者のもとへ一応の照会もなく引き取られしより俊雄は瓦斯を離れた風船乗り天を仰いで吹っかける冷酒五臓六腑へ浸み渡りたり それつらつらいろは四十七文字を按ずる・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・新涼の秋気はすでに二階の部屋にも満ちて来た。この一夏の間、わたしは例年の三分の一に当るほども自分の仕事をなし得ず、せめて煩わなかっただけでもありがたいと思えと人に言われて、僅かに慰めるほどの日を送って来たが、花はその間に二日休んだだけで、垣・・・ 島崎藤村 「秋草」
北の国も真夏のころは花よめのようなよそおいをこらして、大地は喜びに満ち、小川は走り、牧場の花はまっすぐに延び、小鳥は歌いさえずります。その時一羽の鳩が森のおくから飛んで来て、寝ついたなりで日をくらす九十に余るおばあさんの家・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
出典:青空文庫