・・・ 明治四十一年から三年までの滞欧中には、だれもと同様によく活動を見たものである。当時ベルリンではこれを俗にキーントップと言っていた。常設館はいくつもあったがみんな小さなものでわずかの観客しか容れなかったように覚えている。邦楽座や武蔵野館・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 滞欧中のある冬にイタリアへ遊びに行った。ローマの大学を訪ねたとき、物理学教室の入口に竹の一叢を見付けてなつかしい想いをした。その日の夕方、ホテルの食堂で食事のあとに出した菓物鉢の数々の果物の中にただ一つ柿の実がのっかっていた。同時に食・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・ 滞欧中の夏はついに暑さというものを覚えなかったが、アメリカへ渡っていわゆる「熱波」の現象を体験することを得た。五月初旬であったかと思う。ニューヨークの宿へ荷物をあずけて冬服のままでワシントンへ出かけた時には春のような気候であった。華府・・・ 寺田寅彦 「夏」
出典:青空文庫