・・・ったので、恰も地の底から湧出たかのように思われ、自分は驚いて能く見ると年輩は三十ばかり、面長の鼻の高い男、背はすらりとしたやさがた、衣装といい品といい、一見して別荘に来て居る人か、それとも旅宿を取って滞留して居る紳士と知れた。 彼は其処・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・其後三四日大友は滞留していたけれどお正には最早、彼の事に就いては一言も言わず、お給仕ごとに楽しく四方山の話をして、大友は帰京したのである。 爾来、四年、大友の恋の傷は癒え、恋人の姿は彼の心から消え去せて了ったけれども、お正には如何かして・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・訪問すべき人を訪問して、滞留日数に応じて何本と極めてある手紙を出した跡は、自分の勝手な楽もする。段々鋭くなった目で観察もする。 しかし一つの恐怖心が次第に増長する。それは不意に我身の上に授けられた、夢物語めいた幸福が、遠からず消え失せて・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・父はわたくしに裏手の一室を与えて滞留中の居間にさせられた。この室にはベランダはなかったが、バルコンのついた仏蘭西風の窓に凭ると、芝生の向に事務所になった会社の建物と、石塀の彼方に道路を隔てて日本領事館の建物が見える。その頃には日本の租界はな・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・余は倫敦滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余が名を記録した覚えがある。この時は実に余の名の記入初であった。なるべく丁寧に書くつもりであったが例に因ってはなはだ見苦しい字が出来上った。前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ 2 その頃私は、北越地方のKという温泉に滞留していた。九月も末に近く、彼岸を過ぎた山の中では、もうすっかり秋の季節になっていた。都会から来た避暑客は、既に皆帰ってしまって、後には少しばかりの湯治客が、静かに病を養っ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ずいぶん手軽に滞留すべき宿もあるべし。一、社中に入らんとする者は、芝新銭座、慶応義塾へ来り、当番の塾長に謀るべし。一、義塾読書の順序は大略左の如し。社中に入り、先ず西洋のいろはを覚え、理学初歩か、または文法書を読む。この間、・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・三日ほど奈良に滞留の間は幸に病気も強くならんので余は面白く見る事が出来た。この時は柿が盛になっておる時で、奈良にも奈良近辺の村にも柿の林が見えて何ともいえない趣であった。柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されておるもので、殊に奈良・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・昔、グラント将軍が来た時、滞留させるに適当なところがなく、其為に交親館というのを此処に建ててその用に供した。其を改造したものだそうだ。入口から、上野のように陰気で物々しくないのがよい。 永山時英氏は、長崎史研究者として権威ある人。昨今出・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・那須も塩原も、十位の外に洩れまいとして滞留客へまで帳面を廻し、ハガキ百枚、二百枚と寄附して貰い、三井さんが一万枚寄附して下すったという騒ぎだ。塩原では、臨時事務所のようなところが出来て、そこでは屈強な若者が十数人鉢巻をして、山積したハガキを・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
出典:青空文庫