・・・が、肝腎の王生自身は、何度その訳を尋ねられても、ただ微笑を洩らすばかりで、何がどうしたとも返事をしない。 そんな事が一年ほど続いた後、ある日趙生が久しぶりに、王生の家を訪れると、彼は昨夜作ったと云って、元げんしんたいの会真詩三十韻を出し・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・ 優勝劣敗の世の中にこう云う私憤を洩らすとすれば、愚者にあらずんば狂者である。――と云う非難が多かったらしい。現に商業会議所会頭某男爵のごときは大体上のような意見と共に、蟹の猿を殺したのも多少は流行の危険思想にかぶれたのであろうと論断した。・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・白は凄じい唸り声を洩らすと、きりりとまた振り返りました。「きゃあん。きゃあん。助けてくれえ! きゃあん。きゃあん。助けてくれえ!」 この声はまた白の耳にはこう云う言葉にも聞えるのです。「きゃあん。きゃあん。臆病ものになるな! き・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・着物を雨で濡らす心配があるか、ライン河の入日の画端書に感嘆の声を洩らす時のほかは、滅多に雲の影などへ心を止めないのも不思議ではない。いわんや今は薔薇の花の咲き乱れている路に、養殖真珠の指環だの翡翠まがいの帯止めだのが――以下は前に書いた通り・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・と、いかにも当惑したらしいため息さえ洩らすのです。新蔵はいよいよたまらなくなって、「今になってもまだ君の計画を知らせてくれないと云うのは、あんまり君、残酷じゃないか。そのおかげで僕は、二重の苦しみをしなけりゃならないんだ。」と、声を震わせな・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・その不平を吉弥はたびたび僕に漏らすことがあった。もっとも、お君さんをそういう気質に育てあげたのは、もとはと言えば、親たちが悪いのらしい。世間の評判を聴くと、まだ肩あげも取れないうちに、箱根のある旅館の助平おやじから大金を取って、水あげをさせ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・が、当時は此の壮語を吐いて憤悶を洩らすものは一人も無かったのである。 博文館の雑誌経営が成功して、雑誌も亦ビジネスとして立派に存立し得る事が証拠立てられてから、有らゆる出版業者は皆奮って雑誌を発行した。文人が活動し得る舞台が著るしく多く・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・右眼が明を失ったのは九輯に差掛った頃からであるが、馬琴は著書の楮余に私事を洩らす事が少なくないに拘わらず、一眼だけを不自由した初期は愚か両眼共に視力を失ってしまってからも眼の事は一言もいわなかった。作者の私生活と交渉のなかった単なる読者は最・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・そして、迫り来る春昏の愁しみを洩らすによしなかったのです。その頃から、出不精の癖がついて、花が咲いたときいても、見物に出かけることもなく、いつも歩く巷の通りを漫然と散歩して、末にこんな処へ立寄り、偶々、罎にさした桜の花が、傍の壁の鏡に色の褪・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・ 耕吉は酒でも飲むと、細君に向って継母への不平やら、継母へ頭のあがらぬらしい老父への憤慨やらを口汚なく洩らすことがあった。細君は今さらならぬ耕吉の、その日本じゅうにもないいい継母だと思っていたという迂愚さ加減を冷笑した。そして「私なんか・・・ 葛西善蔵 「贋物」
出典:青空文庫