・・・―― 私は感情の激昂に駆られて、思わず筆を岐路に入れたようでございます。 さて、私はその夜以来、一種の不安に襲われはじめました。それは前に掲げました実例通り、ドッペルゲンゲルの出現は、屡々当事者の死を予告するからでございます。しかし・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ たといいかなる手段にても到底この老夫をして我に忠ならしむることのあたわざるをお通は断じつ。激昂の反動は太く渠をして落胆せしめて、お通は張もなく崩折れつつ、といきをつきて、悲しげに、「老夫や、世話を焼かすねえ。堪忍しておくれ、よう、・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・今おとよの挨拶ぶりが、不承知らしいので内心もう非常に激昂した。ことに省作の事があるから一層怒ったらしく顔色を変えて、おとよをねめつけていたが、しばらくしてから、「ウム、それではきさま三日たてば承知するのか」 おとよは黙っている。・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・自分はあまりのことだと制止せんとする時、水野、そんな軽石は畏くないが読まないと変に思うだろうから読む、自分で読むと、かれは激昂して突っ立った。「一筆示し上げ参らせ候大同口よりのお手紙ただいま到着仕り候母様大へん御よろこび涙を流してくり返・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・行く末のかれが大望は霧のかなたに立ちておぼろながら確かにかれの心を惹き、恋は霧のごとく大望を包みて静かにかれの眼前に立ちふさがり、かれは迷いつ、怒りつ、悲哀と激昂とにて一夜を明かせり。明けがた近くしばしまどろみしが目さめし時はかれの顔真っ蒼・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・と言わぬばかりの色目をつかい、そうして、その激昂の相手に対し、「いや、わるかったよ、あやまるよ、お辞儀をします」など言ってるのを見かけることがあるけれども、あれは、まことにイヤミなものである。卑怯だと思う。あんな態度に出られたら、悲憤の男は・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・ 唄合戦の揚句に激昂した恋敵の相手に刺された青年パーロの瀕死の臥床で「生命の息を吹込む」巫女の挙動も実に珍しい見物である。はじめには負傷者の床の上で一枚の獣皮を頭から被って俯伏しになっているが、やがてぶるぶると大きくふるえ出す、やがてむ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ 然りといえども勝氏も亦人傑なり、当時幕府内部の物論を排して旗下の士の激昂を鎮め、一身を犠牲にして政府を解き、以て王政維新の成功を易くして、これが為めに人の生命を救い財産を安全ならしめたるその功徳は少なからずというべし。この点に就ては我・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ カン蛙は、野鼠の激昂のあんまりひどいのに、しばらくは呆れていましたが、なるほど考えて見ると、それも無理はありませんでした。まず野鼠は、ただの鼠にゴム靴をたのむ、ただの鼠は猫にたのむ、猫は犬にたのむ、犬は馬にたのむ、馬は自分の金沓を貰う・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・婦人たちはみんなひどく激昂していましたが何分相手が異教の論難者でしたので卑怯に思われない為に誰も異議を述べませんでした。シカゴの技師ははんけちで叮寧に口を拭ってから又云いました。「なるほど実にビジテリアン諸氏の動物に対する同情は大きなも・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫