・・・ 無口な野口も冗談をいった。しかし藤井は相不変話を続けるのに熱中していた。「和田のやつも女の前へ来ると、きっと嬉しそうに御時宜をしている。それがまたこう及び腰に、白い木馬に跨ったまま、ネクタイだけ前へぶらさげてね。――」「嘘をつ・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ 道士は、無口な方だと見えて、捗々しくは返事もしない。「成程な」とか「さようさ」とか云う度に、歯のない口が、空気を噛むような、運動をする。根の所で、きたない黄いろになっている髯も、それにつれて上下へ動く、――それが如何にも、見すぼらしい・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・何でもその時は、大へんおとなしい、無口な人と云う印象を受けた。それから、いゝ男だとも思ったらしい。らしいと云うのは、その後鴻の巣か何かで会があった時に、豊島の男ぶりを問題にした覚えがあるからである。 それから豊島とは、始終或程度の間隔を・・・ 芥川竜之介 「豊島与志雄氏の事」
・・・中肉で、脚のすらりと、小股のしまった、瓜ざね顔で、鼻筋の通った、目の大い、無口で、それで、ものいいのきっぱりした、少し言葉尻の上る、声に歯ぎれの嶮のある、しかし、気の優しい、私より四つ五つ年上で――ただうつくしいというより仇っぽい婦人だった・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ と繰返し云って、袖にすがられた時に、無口なお松は自分を抱きしめて、暫くは顔を上げ得なかったそうである。それからお松は五ツにもなった自分を一日おぶって歩いて、何から何まで出来るだけの世話をすると、其頃もう随分ないたずら盛りな自分が、じい・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・けれど、ものぐさな無口な雲は、見ぬふりをして、その頭の上を悠々と過ぎてゆきました。 木の芽は、鳥をいちばんおそれていたのです。それは、代々からの神経に伝わっている本能的のおそれのようにも思われました。あのいい音色で歌う鳥は、姿もまた美し・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・それが年ごろになっても止まぬので、無口な父親もさすがに冷えるぜエと、たしなめたが、聴かなんだ。 蝸牛を掌にのせ、腕を這わせ、肩から胸へ、じめじめとした感触を愉しんだ。 また、銭湯で水を浴びるのを好んだ。湯気のふきでている裸にざあッと・・・ 織田作之助 「雨」
・・・しかし、平常は無口でも、いざとなればべらべらとこなして行くのが年期を入れた俳優の生命で、文壇でも書きにくい大阪弁を書かせてかなり堂に入った数人の作家がいる。 しかし、その作家たちの書いている大阪弁を読むと、同じ書き方をしている作家は一人・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ けれども律儀な老訓導は無口な私を聴き上手だと見たのか、なおポソポソと話を続けて、「……ここだけの話ですが、恥を申せばかくいう私も闇屋の真似事をやろうと思ったんでがして、京都の堀川で金巾……宝籤の副賞に呉れるあの金巾でがすよ、あれを・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 惣治も酔でも廻ってくると、額に被ぶさる長い髪を掌で撫で上げては、無口な平常に似合わず老人じみた調子でこんなようなことを言った。「そうだろうね、商売というものもなかなかうまく行かんもんだろうからね。僕もせめて三十円くらいの収入がある・・・ 葛西善蔵 「贋物」
出典:青空文庫