・・・もっとも南洲先生はもう眠てしまったかも知れないが、なにこの一つ前の一等室だから、無駄足をしても大した損ではない。」 老紳士はこう云うと、瀬戸物のパイプをポケットへしまいながら、眼で本間さんに「来給え」と云う合図をして、大儀そうに立ち上っ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ 五代は丹造のきょときょとした、眼付きの野卑な顔を見て、途端に使わぬ肚をきめたが、八回無駄足を踏ませた挙句、五時間待たせた手前もあって、二言三言口を利いてやる気になり、「――お前の志望はいったい何だ?」 と、きくと丹造はすかさず・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 三度まで無駄足を踏ませられても、怒る様子もないばかりか、使をよこすのを止めようともしない……。 さすがの禰宜様宮田も、またさすがのお石も、少し妙な気がした。 いったいまあどうしたことじゃい! 漠然とした疑惑が起らないではな・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 或る日、藍子が尾世川の宿へ行くと、今しがた出たというところだった。 無駄足が惜しくないように近所へわざわざ越して来ているのであったが、藍子はその時はそのまま家へ引返す気になれなかった。いい天気でもあったし、藍子は久世山の方へぶらぶ・・・ 宮本百合子 「帆」
出典:青空文庫