・・・また、それがないにしても、その時にはもう私も、いつか子爵の懐古的な詠歎に釣りこまれて、出来るなら今にも子爵と二人で、過去の霧の中に隠れている「一等煉瓦」の繁華な市街へ、馬車を駆りたいとさえ思っていた。そこで私は頭を下げながら、喜んで「どうぞ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・それは彼の家の煉瓦塀が、何歩か先に黒々と、現われて来たからばかりではない、その常春藤に蔽われた、古風な塀の見えるあたりに、忍びやかな靴の音が、突然聞え出したからである。 が、いくら透して見ても、松や芒の闇が深いせいか、肝腎の姿は見る事が・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・地震、と欄干につかまって、目を返す、森を隔てて、煉瓦の建もの、教会らしい尖塔の雲端に、稲妻が蛇のように縦にはしる。 静寂、深山に似たる時、這う子が火のつくように、山伏の裙を取って泣出した。 トウン――と、足拍子を踏むと、膝を敷き、落・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・つい目と鼻のさきには、化粧煉瓦で、露台と言うのが建っている。別館、あるいは新築と称して、湯宿一軒に西洋づくりの一部は、なくてはならないようにしている盛場でありながら。「お邪魔をしました。」「よう、おいで。」 また、おかしな事があ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・そればかりでなく泥面子や古煉瓦の破片を砕いて溶かして絵具とし、枯木の枝を折って筆とした事もあった。その上に琉球唐紙のような下等の紙を用い、興に乗ずれば塵紙にでも浅草紙にでも反古の裏にでも竹の皮にでも折の蓋にでも何にでも描いた。泥絵具は絹や鳥・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・一同はワヤ/\ガヤ/\して満室の空気を動揺し、半分黒焦げになったりポンプの水を被ったりした商品、歪げたり破れたりしたボール箱の一と山、半破れの椅子や腰掛、ブリキの湯沸し、セメント樽、煉瓦石、材木の端片、ビールの空壜、蜜柑の皮、紙屑、縄切れ、・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・「大阪曾根崎署では十九日朝九時、約五十名の制服警官をくり出して梅田自由市場の煙草販売業者の一斉取締りを断行、折柄の雑沓の中で樫棒、煉瓦が入れ交つての大乱闘が行はれ重軽傷者数名を出した。負傷者は直ちに北区大同病院にかつぎ込み加療中。・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・の亭主がまかり間違っても白いダブルの背広に赤いネクタイ、胸に青いハンカチ、そしてリーゼント型に髪をわけたような男でないことをしきりに祈りながら、赤い煉瓦づくりの自安寺の裏門を出ると、何とそこは「いろは牛肉店」の横丁であった。「市丸」という小・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・が、あの高い煉瓦塀の中でのいっさいの自由を奪われたような苦役生活の八年間――どれほどの重い罪を犯したものか、自分なんかにはほとんど想像もつかないことではあるが、何しろ彼はまだ当年十九歳の、いわばまだ少年と言っていい年齢だったのだ。それがそれ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・赤い鳥居を点じていた。その上に遠い山々は累って見える。比叡山――それを背景にして、紡績工場の煙突が煙を立登らせていた。赤煉瓦の建物。ポスト。荒神橋には自転車が通り、パラソルや馬力が動いていた。日蔭は磧に伸び、物売りのラッパが鳴っていた。・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
出典:青空文庫