・・・ 銀座の表通りを去って、いわゆる金春の横町を歩み、両側ともに今では古びて薄暗くなった煉瓦造りの長屋を見ると、自分はやはり明治初年における西洋文明輸入の当時を懐しく思返すのである。説明するまでもなく金春の煉瓦造りは、土蔵のように壁塗り・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・向うに雑な煉瓦造りの長屋が四五軒並んでいる。前には何にもない。砂利を掘った大きな穴がある。東京の小石川辺の景色だ。長屋の端の一軒だけ塞がっていてあとはみんな貸家の札が張ってある。塞がっているのが大家さんの内でその隣が我輩の新下宿、彼らのいわ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・それは青山御所を建てたコンドルという英人が建てたとか、あまり大きくもない煉瓦の建物であったが、当時の法文科はその一つの建物の中に納っていたのである。しかもその二階は図書室と学長室などがあって、太いズボンをつけた外山さんが、鍵をがちゃつかしな・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・日本が外国と貿易を始めると直ぐ建てられたらしい、古い煉瓦建の家が並んでいた。ホンコンやカルカッタ辺の支邦人街と同じ空気が此処にも溢れていた。一体に、それは住居だか倉庫だか分らないような建て方であった。二人は幾つかの角を曲った挙句、十字路から・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・火葬にも種類があるが、煉瓦の煙突の立っておる此頃の火葬場という者は棺を入れる所に仕切りがあって其仕切りの中へ一つ宛棺を入れて夜になると皆を一緒に蒸焼きにしてしまうのじゃそうな。そんな処へ棺を入れられるのも厭やだが、殊に蒸し焼きにせられると思・・・ 正岡子規 「死後」
太陽マジックのうたはもう青ぞらいっぱい、ひっきりなしにごうごうごうごう鳴っています。 わたしたちは黄いろの実習服を着て、くずれかかった煉瓦の肥溜のとこへあつまりました。 冬中いつも唇が青ざめて、がたがた・・・ 宮沢賢治 「イーハトーボ農学校の春」
・・・ 少しダラダラ坂になった通りを行くと、右側に煉瓦の大きい工場が現れた。がっしりとした門にソヴェト同盟の国標、鎚と鎌をぶっちがえにしたものを麦束でとりかこんだ標がかかげてあり、その上に、ドン国立煙草工場と金字で書いてある。門衛がいるが、一・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・突然自動車が一台煉瓦塀の外をけたたましく過ぎて、跡は又元の寂しさに戻った。 秀麿は語を続いだ。「まあ、こうだ。君がさっきから怪物々々と云っている、その、かのようにだがね。あれは決して怪物ではない。かのようにがなくては、学問もなければ、芸・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・――山上の煉瓦の中から、不意に一群の看護婦たちが崩れ出した。「さようなら。」「さようなら。」「さようなら。」 退院者の後を追って、彼女たちは陽に輝いた坂道を白いマントのように馳けて来た。彼女たちは薔薇の花壇の中を旋回すると、・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・古代の赤煉瓦の壁の間に女神の白い裸身は死骸のごとく横たわっている。そうして千年の闇ののちに初めて光を、炬火の光を、ほのあかく全身に受ける。ヴイナスだ、プラキシテレスのヴイナスだ、と人々は有頂天になって叫ぶ。やがてヴイナスは徐々に、地の底から・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫