・・・微苦笑とは久米正雄君の日本語彙に加えたる新熟語なり。久保田君の時に浮ぶる微笑も微苦笑と称するを妨げざるべし。唯僕をして云わしむれば、これを微哀笑と称するの或は適切なるを思わざる能わず。 既にあきらめに住すと云う、積極的に強からざるは弁じ・・・ 芥川竜之介 「久保田万太郎氏」
・・・二葉亭も一つの文章論としては随分思切った放胆な議論をしていたが、率ざ自分が筆を執る段となると仮名遣いから手爾於波、漢字の正訛、熟語の撰択、若い文人が好い加減に創作した出鱈目の造語の詮索から句読の末までを一々精究して際限なく気にしていた。・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・この趣味を描くために武蔵野に散在せる駅、駅といかぬまでも家並、すなわち製図家の熟語でいう聯檐家屋を描写するの必要がある。 また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。六つ玉川などと我々の先祖が名づけたことがあるが武蔵の多摩川・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・余の行為がこの有用な新熟語に価するかどうかは、先生の見識に任せて置くつもりである。(余自身はそれほど新らしい脊髄がなくても、不便宜なしに誰にでも出来る所作 先生はまたグラッドストーンやカーライルやスペンサーの名を引用して、君の御仲間も大・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
今日の文明は智恵の文明にして、智恵あらざれば何事もなすべからず、智恵あれば何事をもなすべし。然るに世に智徳の二字を熟語となし、智恵といえば徳もまた、これに従うものの如く心得、今日、西洋の文明は智徳の両者より成立つものなれば・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・蘆花は当時としては欧州文化を早く吸収したクリスチャン出であったのだけれども、自然を描写する場合になると、漢文脈の熟語、形容詞をつかって、こんにちの読者にはふり仮名なしにはよめない麗句で朝日ののぼる姿を描き、あるいは、余情綿々たる和文調で草木・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・昔の人は酸鼻という熟語でこの感覚を表現した。更に「地底の墓」「落日の饗宴」とを読み、いくつかの「新人論」を瞥見し、私は、文学に、何ぞこの封建風な徒弟気質ぞ、と感じ、更に、そのような苦衷、あるいは卑屈に似た状態におとしめられていることに対して・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・民主主義文学の理論にたずさわる人まで既成の熟語のように「勤労者文学」という言葉を用いるようになった。そういう事情いかんにかかわらず、『勤労者文学』は、この二年の間、民主主義文学の新しい土地をひらき、新しい作家をみちびきだし、価値を否定するこ・・・ 宮本百合子 「その柵は必要か」
・・・文学青年という熟語があれば、奈良の若僧中には、美術青年がある。無礼を顧ずいえば、彼等は僧として、高邁な信仰を得ようとする熱意も失っていると同時に、芸術的美に沈潜することによって、更に純一な信心に甦るだけの強大な直観も持っていないようだ。自分・・・ 宮本百合子 「宝に食われる」
出典:青空文庫