・・・おれの声は低くとも、天上に燃える炎の声だ。それがお前にはわからないのか。わからなければ、勝手にするが好い。おれは唯お前に尋ねるのだ。すぐにこの女の子を送り返すか、それともおれの言いつけに背くか――」 婆さんはちょいとためらったようです。・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・何処の小屋にも灯はともされずに、鍋の下の囲炉裡火だけが、言葉どおりかすかに赤く燃えていた。そのまわりには必ず二、三人の子供が騒ぎもしないできょとんと火を見つめながら車座にうずくまっていた。そういう小屋が、草を積み重ねたように離れ離れにわびし・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ その内ぼやぼやと火が燃えた。船から、沖へ、ものの十四五町と真黒な中へ、ぶくぶくと大きな泡が立つように、ぼッと光らあ。 やあ、火が点れたいッて、おらあ、吃驚して喚くとな、……姉さん。」「おお、」と女房は変った声音。「黙って、・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・風呂の前の方へきたら釜の火がとろとろと燃えていてようやく背戸の入り口もわかった。戸が細目にあいてるから、省作は御免下さいと言いながら内へはいった。表座敷の方では年寄りたちが三、四人高笑いに話してる。今省作がはいったのを知らない。省作は庭場の・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・しかしまたこッそり乳くり合っているのかも知れないと思えば、急に僕の血は逆上して、あたまが燃え出すように熱して来た。 僕は、数丈のうわばみがぺろぺろ赤い舌を出し、この家のうちを狙って巻きつくかのような思いをもって、裏手へまわった。 裏・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・たった今まで、草原の上をよろめきながら飛んでいる野の蜜蜂が止まったら、羽を焦してしまっただろうと思われる程、赤く燃えていた女房の顳が、大理石のように冷たくなった。大きい為事をして、ほてっていた小さい手からも、血が皆どこかへ逃げて行ってしまっ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ そこに大きなテーブルが置いてあって、水晶で造ったかと思われるようなびんには、燃えるような真っ赤なチューリップの花や、香りの高い、白いばらの花などがいけてありました。テーブルに向かって、ひげの白いじいさんが安楽いすに腰かけています。かた・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・ここでおどおどしては俺もお終いだと思うと、眼の前がカッと血色に燃えて、「用って何もありません。ただ歩いているだけです」 呶鳴るように言うと、紀代子もぐっと胸に来て、「うろうろしないで早く帰りなさい」 その調子を撥ね飛ばすよう・・・ 織田作之助 「雨」
・・・僕はどうかするとあの仏殿の地蔵様の坐っている真下が頸を刎ねる場所で、そこで罪人がやられている光景が想像されたり、あの白槇の老木に浮ばれない罪人の人魂が燃えたりする幻覚に悩されたりするが、自分ながら神経がどうかしてる気がして怖くなる……」と、・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、ひそかに抑えて来た心を燃えさせる、――ただそのことだけが仕甲斐のあることのように峻には思えた。「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんな・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫