・・・帰って来たとて宅に片時居るでもなし。おまけに世話ばかり焼かして……。もうそう時々帰って来るには及ばぬ……とカンカン。誰れか余所の伯母さんが来て寸を取っているらしい。勘定を持って来た。十五円で御釣りが三円なにがし。その中の銀一枚はこれで蕎麦を・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・窮屈と思い馬鹿らしいと思ったら実に片時もたまらぬ時ではないか。しかしながら人類の大理想は一切の障壁を推倒して一にならなければ止まぬ。一にせん、一にならんともがく。国と国との間もそれである。人種と人種の間もその通りである。階級と階級の間もそれ・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・るも容易に信ずる者なく、却て自分を目し虚偽を伝うる者なりとして、爾余の報告までも概して信を失うに至る可し、日本の婦人は実に此世に生きて生甲斐なき者なり、気の毒なる者なり、憐む可き者なり、吾々米国婦人は片時も斯る境遇に安んずるを得ず、死を決し・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・子供の心身の暗弱四肢耳目の不具は申すまでもなく、一本の歯一点の黶にも心を悩まして日夜片時も忘るゝを得ず。俗に言う子供の馬鹿ほど可愛く片輪ほど憐れなりとは、親の心の真面目を写したるものにして、其心は即ち子供の平等一様に幸福ならんことを念ずるの・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・、一年農作の飢饉にあえば、これを救うの術を施し、一時、商況の不景気を見れば、その回復の法をはかり、敵国外患の警を聞けばただちに兵を足し、事、平和に帰すれば、また財政を脩むる等、左顧右視、臨機応変、一日片時も怠慢に附すべからず、一小事件も容易・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・即ち我が徳義を円満無欠の位に定め、一身の尊きこと玉璧もただならず、これを犯さるるは、あたかも夜光の璧に瑕瑾を生ずるが如き心地して、片時も注意を怠ることなく、穎敏に自ら衛りて、始めて私権を全うするの場合に至るべし。されば今、私権を保護するは全・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・されど形は意なくして片時も存すべきものにあらず。意は己の為に存し形は意の為に存するものゆえ、厳敷いわば形の意にはあらで意の形をいう可きなり。夫の米リンスキーが世間唯一意匠ありて存すといわれしも強ちに出放題にもあるまじと思わる。 形とは物・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・生きなければならないと云う事は、片時も脳裡を去らない緊張を与えて居ります。 其故、よく日本の人々の間に云われる、自動車を持って居ても下女は使わないという現象になるのでございます。元より自動車と云っても、日本のように単に贅沢者の玩具か、人・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・真心を以て芸術に参するものは、自己に許された範囲に於て、最大・最高の諧調を見出したいという祈願を、片時も捨てかねるものと思う。然し、仕事に面して、どんなことを仕ようが自分以上にはなれない。自分の内に在るだけの輝きほか、自分を照すものはない。・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・されどわれを煩悩の闇路よりすくいいでたまいし君、心の中には片時も忘れ侍らず」「近ごろ日本の風俗書きしふみ一つ二つ買わせて読みしに、おん国にては親の結ぶ縁ありて、まことの愛知らぬ夫婦多しと、こなたの旅人のいやしむようにしるしたるありしが、・・・ 森鴎外 「文づかい」
出典:青空文庫