・・・しかしこの女のここへ来たのは物好きだけではなさそうである。神父はわざと微笑しながら、片言に近い日本語を使った。「何か御用ですか?」「はい、少々お願いの筋がございまして。」 女は慇懃に会釈をした。貧しい身なりにも関らず、これだけは・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・ある秋の末にクララが思い切ってその説教を聞きたいと父に歎願した時にも、父は物好きな奴だといったばかりで別にとめはしなかった。 クララの回想とはその時の事である。クララはやはりこの堂母のこの座席に坐っていた。着物を重ねても寒い秋寒に講壇に・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 馬鹿な奴だとは思ったが、僕はもう未練がないと言いたいくらいだから、物好き半分に根問いをして見た。二階にはおやじもいるし、他にまだ二人ばかりいる。跡からあがった女は、浅草公園の待合○○の女将であった。 菊子の口のはたの爛れはすッかり・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「まあ、とんだ物好きね。内のがどう果報なんだろう?」「果報じゃねえか、第一金はあるしよ……」「御笑談もんですよ! 金なんか一文もあるものかね。資本だって何だって、皆佃の方から廻してもらってやってるんだもの、私たちはいわば佃の出店・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 身寄りの者もないらしく、また、むかしの旦那だと名乗って出る物好きもなく葬儀万端、二三の三味線の弟子と長屋の人たちの手を借りて、おれがしてやった。長屋の住人の筈のお前は、その時既にどこやら姿をくらましていた。 ひとにきけば、湯崎より・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・千日前のそんな事件をわざわざ取り上げて書いてみようとする物好きな作家は、今の所私のほかには無さそうだし、そんなものでも書いて置けば当時の千日前を偲ぶよすがにもなろうとは言うものの、近頃放送されている昔の流行歌も聴けば何か白々しくチグハグであ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・などというけちくさい取るに足らぬ問題について、口角泡を飛ばして喋るほど閑人でもなければ、物好きでもありません。ほかにもっと考えなければならぬ文学の本質的問題が沢山ありますし、だいいち、日本にはエロチシズムの文学などありません。エロ文学なんて・・・ 織田作之助 「猫と杓子について」
・・・「あんたも随分物好きな人ね」「今更言わんでも判ってる。おれから物好きを取ってしもたら、おれという人間がなくなってしまうよ」「そりゃ判ってるわよ。だいいち中学校の体操の教師を投げ飛ばして学校を追い出されたくらいだから……」「じ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・が、調べて行くうちに、どうにかして、日本一ばん、いや日本一ばんは即ち世界一ばんという事になりますが、一ばん大きな山椒魚を私の生きて在るうちに、ひとめ見たいものだという希望に胸を焼かれて、これまた老いの物好きと、かの貧書生などに笑われるのは必・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・この後の三、四年間の生活は滅茶苦茶で、写真をとってもらうような心の余裕も無かったし、また誰か物好きの人があって、当時の私の姿を撮影しようと企てたとしても、私は絶えずキョトキョト動き廻って一瞬もじっとしていないので、撮影の計画を放棄するより他・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
出典:青空文庫