・・・あの人は無理に笑ってみせようと努めたようだが、ひくひく右の頬がひきつって、あの人の特徴ある犬歯がにゅっと出ただけのことである。 私はあさましく思い、「あなたよりは、あなたの奥さんの方が、きっぱりして居るようです。私に決闘を申込んで来まし・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・こんな工合いに、耳朶をちょろちょろとくすぐりながら通るのは、南風の特徴である。 見渡したところ、郊外の家の屋根屋根は、不揃いだと思わないか。君はきっと、銀座か新宿のデパアトの屋上庭園の木柵によりかかり、頬杖ついて、巷の百万の屋根屋根をぼ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・青年の没個性、自己喪失は、いまの世紀の特徴と見受けられます。以下、必ず一読せられよ。刺し殺される日を待って居る。私は或る期間、穴蔵の中で、陰鬱なる政治運動に加担していた。月のない夜、私ひとりだけ逃げた。残された仲間は、すべて、いのちを失った・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 数日後、丸山です、とれいの舞台で聞き覚えのある特徴のある声が、玄関に聞えた。私は立って玄関に迎えた。 丸山君おひとりであった。「もうひとりのおかたは?」 丸山君は微笑して、「いや、それが、こいつなんです。」 と言っ・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・しかしその平和を得るためには必ずしも異種の民族の特徴を減却しなくてもいいという考えだそうである。ユダヤ民族を集合して国土を立てようというザイオニズムの主張者としてさもありそうな事である。桑木理学博士がかつて彼をベルンに尋ねた時に、東洋は東洋・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・モンテーニュの論文をことごとく点字に写し取った中から、あらゆる思想や、警句や、特徴や、挿話を書き抜き、分類し、整理した後に、さらにこの著者が読んだだろうと思われるあらゆる書物を読んだり読んでもらったりして、その中に見出される典拠や類型を拾い・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・女の人形の運動は男のよりもより多く細かな曲線を描くのはもとより当然であるが、それが人形であるためにそういう運動の特徴がいっそう抽象示揚されるのであろう。泣き伏すところなどでも肩の運動一つでその表情の特徴が立派に表現される。見ているものは熱い・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・東の特徴がまるでなくなってしまやしないかね」辰之助は言っていた。「けれど少し腕のあるものは、皆なあちらへ行ってしまうさかえ」「そうや。このごろでは西の方にどうしてなかなか美しい子がいる」 お絹の説明によると、おひろは踊りもひとし・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・裾をけひらくような特徴のある歩き方、紅と紫のあわせ帯をしているすらッとした腰のへん。ときどきつれの小娘に肩をよせてから前こごみになってひびかせる笑い声が、三吉をあわてさせるのであるが、そしてきょうもとうとう土堤道のある地点にくるまで、声をか・・・ 徳永直 「白い道」
・・・明治四十三年八月の水害と、翌年四月の大火とは遊里とその周囲の町の光景とを変じて、次第に今日の如き特徴なき陋巷に化せしむる階梯をつくった。世の文学雑誌を見るも遊里を描いた小説にして、当年の傑作に匹疇すべきものは全くその跡を断つに至った。 ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫