・・・殺人、あるいはもっとけがらわしい犯罪が起り、其の現場の見取図が新聞に出ることがありますけれど、奥の六畳間のまんなかに、その殺された婦人の形が、てるてる坊主の姿で小さく描かれて在ることがあります。ご存じでしょう? あれは、実にいやなものであり・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・それでなければ犯罪だ。なあに、うまくいきますよ。自分さえがっちりしてれあ、なんでもないんだ。人を殺すもよし、ものを盗むもよし、ただ少しおおがかりな犯罪ほどよいのですよ。大丈夫。見つかるものか。時効のかかったころ、堂々と名乗り出るのさ。あなた・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・、さあ、さあ私は言ってしまう、とたいへんな意気込で、ざんげをはじめたそうですが、聴聞僧は、清浄の眉をそよとも動がすことなく、窓のそとの噴水を見ていて、ヴェルレエヌの泣きわめきつつ語りつづけるめんめんの犯罪史の、一瞬の切れ目に、すぽんと投入し・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 組織の無いテロリズムは、最も悪質の犯罪である。馬鹿とも何とも言いようがない。 このいい気な愚行のにおいが、所謂大東亜戦争の終りまでただよっていた。 東条の背後に、何かあるのかと思ったら、格別のものもなかった。からっぽであった。・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・大犯罪を遂行するものの如く、心中の不安、緊張は、極点にまで達した。身のほど知らぬぜいたくのようにも思われ、犯罪意識がひしひしと身にせまって、私は、おとといは朝から、意味もなく庭をぐるぐる廻って歩いたり、また狭い部屋の中を、のしのし歩きまわっ・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・たとえば探偵が容疑犯罪者と話しているおりから隣室から土人の女の歌が聞こえて来るのに気がついて耳をそばだてる。歌がやんで後にその女が現われるとすれば、そこに特殊なモンタージュ効果を生ずる。あるいは突然銃声が聞こえて窓ガラスに穴をあける、そこで・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 元来アメリカにジャズ音曲とナンセンス映画とが流行する事実は、かの国に古い意味での哲学と科学と芸術の振るわない事実の半面であって、そのかわりに黄金哲学と鉄コンクリート科学と摩天楼犯罪芸術の発達するゆえんであろう。 これに反してドイツ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・このアメリカ魂は、摩天楼のレコードを作ると同時にギャング犯罪のレコードをも造りだすであろう。 何一つレコードを持たないような円満具足の理想国はどこかにないものかと考えることもある。・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・酒や宗教で人を殺すものは多いがコーヒーや哲学に酔うて犯罪をあえてするものはまれである。前者は信仰的主観的であるが、後者は懐疑的客観的だからかもしれない。 芸術という料理の美味も時に人を酔わす、その酔わせる成分には前記の酒もあり、ニコチン・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・には犯罪被疑者がその性情によって色々とその感情表示に差違のあることを述べ「拷問」の不合理を諷諌し、実験心理的な脈搏の検査を推賞しているなども、その精神においては科学的といわれなくはないであろう。「小指は高くゝりの覚」で貸借の争議を示談させる・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
出典:青空文庫