・・・殊に私の予想が狂うのは、今度三浦に始めて会った時を始めとして、度々経験した事ですから、勿論その時もただふとそう思っただけで、別段それだから彼の結婚を祝する心が冷却したと云う訳でもなかったのです。それ所か、明い空気洋燈の光を囲んで、しばらく膳・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 記録の語る所によると、クリストは、「物に狂うたような群集の中を」、パリサイの徒と祭司とに守られながら、十字架を背にした百姓の後について、よろめき、歩いて来た。肩には、紫の衣がかかっている。額には荊棘の冠がのっている。そうしてまた、手や・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
彼は、秋になり切った空の様子をガラス窓越しに眺めていた。 みずみずしくふくらみ、はっきりした輪廓を描いて白く光るあの夏の雲の姿はもう見られなかった。薄濁った形のくずれたのが、狂うようにささくれだって、澄み切った青空のこ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 気の狂うような驚怖と、あらあらしい好奇心とに促されて、フレンチは目を大きく開いた。 寂しく、広間の真中に、革紐で縛られた白い姿を載せている、怪しい椅子がある。 フレンチにはすぐに分かった。この丸で動かないように見えている全体が・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 白き牡丹の大輪なるに、二ツ胡蝶の狂うよう、ちらちらと捧げて行く。 今はたとい足許が水になって、神路山の松ながら人肌を通す流に変じて、胸の中に舟を纜う、烏帽子直垂をつけた船頭なりとも、乗れとなら乗る気になった。立花は怯めず、臆せず、・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・彼等の踊狂う時、小児等は唄を留む。一同 魔が来た、でんでん。影がさいた、もんもん。(四五度口々に寂しく囃ほんとに来た。そりゃ来た。小児のうちに一人、誰とも知らずかく叫ぶとともに、ばらばらと、左右に分れて逃げ入る。 木・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ が、その凄じさといったら、まるで真白な、冷い、粉の大波を泳ぐようで、風は荒海に斉しく、ごうごうと呻って、地――と云っても五六尺積った雪を、押揺って狂うのです。「あの時分は、脇の下に羽でも生えていたんだろう。きっとそうに違いない。身・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・卯の花を掻乱し、萩の花を散らして狂う。……かわいいのに目がないから、春も秋も一所だが、晴の遊戯だ。もう些と、綺麗な窓掛、絨毯を飾っても遣りたいが、庭が狭いから、羽とともに散りこぼれる風情の花は沢山ない。かえって羽について来るか、嘴から落すか・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・水の輪の拡がり、嵐の狂うごとく、聞くも堪えない讒謗罵詈は雷のごとく哄と沸く。 鎌倉殿は、船中において嚇怒した。愛寵せる女優のために群集の無礼を憤ったのかと思うと、――そうではない。この、好色の豪族は、疾く雨乞の験なしと見て取ると、日の昨・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・鉄橋の下は意外に深く、ほとんど胸につく深さで、奔流しぶきを飛ばし、少しの間流れに遡って進めば、牛はあわて狂うて先に出ようとする。自分は胸きりの水中容易に進めないから、しぶきを全身に浴びつつ水に咽せて顔を正面に向けて進むことはできない。ようや・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
出典:青空文庫