・・・眩しいような真昼の光の下に相角逐し、駈けり狂うて汀をめぐる。汀の草が踏みしだかれて時々水のしぶきが立つ。やがて狂い疲れて樹蔭や草原に眠ってしまう。草原に花をたずねて迷う蜂の唸りが聞える。 日が陰って沼の面から薄糸のような靄が立ち始める。・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
・・・ジャズも客観的に鑑賞するものではなくて、自分で踊り狂うと同価値の活動そのものだからである。その証拠には、街頭を歩いているラッパズボンのボーイらが店頭からもれ出るジャズレコードの音を聞けば必ず安物の器械人形のように踊りだす。それだからこれは野・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・その途中で、車の前面の幌にはまったセルロイドの窓越しに見る街路の灯が、妙にぼやけた星形に見え、それが不思議に物狂わしくおどり狂うように思われたのであった。 先生からはいろいろのものを教えられた。俳句の技巧を教わったというだけではなくて、・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・人か馬か形か影かと惑うな、只呪いその物の吼り狂うて行かんと欲する所に行く姿と思え。 ウィリアムは何里飛ばしたか知らぬ。乗り斃した馬の鞍に腰を卸して、右手に額を抑えて何事をか考え出さんと力めている。死したる人の蘇る時に、昔しの我と今の我と・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・どうじゃ、声さえ発とうにも、咽喉が狂うて音が出ぬじゃ。これが則ち利爪深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなしの意なのじゃぞ。されどもこれは、取らるる鳥より見たるものじゃ。捕る此方より眺むれば、飛躍してこれを握むと斯うじゃ。何の罪なく眠・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・高等を卒ったっきりであとは店のものに気ままに教わって居たけれ共教える任にあたった若いものは娘のつめたい美くしさに自分の気の狂うのをおそれてなるたけはさけて居た。お龍は男が鉛筆をにぎって居る自分の横がおを見つめてポーッとかおを赤くしたり小さな・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・大鎌の奇怪なる角度より発散する三角形の光りの細胞は舞上り舞下りて闇黒の中に無形の譜を作りて死を讚美し祝し―― おどり狂う――大鎌をうちふりうちふりてなぎたおされんものをあさりつつ死は音もなく歩み・・・ 宮本百合子 「片すみにかがむ死の影」
・・・ 罪のない面白い話はわしの口のはたでおどり狂うて居るのでのう。 久し振りに参った事故わしは御事に知って居る丈の話をきかすのをお事が見えたと申す事をきいた時から楽しみに致して居ったのじゃ。法 欠伸の出ぬまでは……王 まー、・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・ こんなことを云って、うすばかな、しまりのわるい五十姿の女房に別れて着物のほころびまで自分でなおしながら暮して居るこの頃の孤独の生活が気が狂うほどいやで有った。「これで居てどうして己は生きて居られるんだろうなア」 男はまだそのし・・・ 宮本百合子 「ピッチの様に」
・・・ 正確だから狂うのだ、という逆説は、彼にはたしかに通用する近代の見事な美しさをも語っている。「君はきょうは、水交社から来たんですか。憲兵はついて来ていないの。」と梶は栖方に家を出る前訊ねてみた。「きょうは父島から帰ったばかりです・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫