・・・この犬はきっと狂犬だわよ。」 お嬢さんはそこに立ちすくんだなり、今にも泣きそうな声を出しました。しかし坊ちゃんは勇敢です。白はたちまち左の肩をぽかりとバットに打たれました。と思うと二度目のバットも頭の上へ飛んで来ます。白はその下をくぐる・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・君はこのごろ毎夜狂犬いでて年若き娘をのみ噛むちょううわさをききたまいしやと、妹はなれなれしくわれに問えり、問いの不思議なると問えるさまの唐突なるとにわれはあきれて微笑みぬ。姉はわが顔を見て笑いつ、愚かなることを言うぞと妹の耳を強く引きたり。・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・よサそうなものだ、よろしいそうだと振り向こうとしたが、残念でたまらない、もしここでおれが後ろへ振り向くならもう今日かぎり画家はやめるのだゾ、よしか、それでよければ向け、もしこの森にいるとかうわさのある狂犬であっておれの後ろからいきなり頸筋へ・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・「日本人って奴は、まるで狂犬みたいだ。――手あたり次第にかみつかなくちゃおかないんだ。」ペーチャが云った。「まだポンポン打ちよるぞ!」 ロシア人は、戦争をする意志を失っていた。彼等は銃をさげて、危険のない方へ逃げていた。 弾・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・知ってるかい。狂犬ではないのだ。何かやってひどくいじめられて、首輪のところからつながれていたのを必死に切って逃げて来ているので、ずるずる地面を引ずる荒繩の先は藁のようにそそけ立ってしまっているのであった。 景清は、それからずっとその庭に・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・ 馬鹿! お前すっかり自分の身をほろぼすんだよ……私たちみんなを滅ぼすんだ!」 ドミトリーは、びっくりして女房を見上げ見下した。「どうしたんだ? 狂犬か? 今日は……」 グラフィーラはたまらなくなって、ドミトリーの足許へ体を投げ・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・父がやがて、「気をつけなさい。狂犬だといけないよ」と注意した。 晴子が、「狂犬だって!」と、大笑いに笑って、一層犬に来い、来い、した。「狂犬じゃないわ、お父様これ」「舌出してないから大丈夫よ」「あら狂犬て舌出すの・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
出典:青空文庫