・・・これだけは今後も実行しなければならぬ。猿股やズボン下や靴下にはいつも馬の毛がくっついているから。……「十二月×日 靴下の切れることは非常なものである。実は常子に知られぬように靴下代を工面するだけでも並みたいていの苦労ではない。……「・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ その翌々日の午後、義捐金の一部をさいてあがなった、四百余の猿股を罹災民諸君に寄贈することになった。皆で、猿股の一ダースを入れた箱を一つずつ持って、部屋部屋を回って歩く。ジプシーのような、脊の低い区役所の吏員が、帳面と引合わせて、一・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・続いて、足早に刻んで下りたのは、政治狂の黒い猿股です。ぎしぎしと音がして、青黄色に膨れた、投機家が、豚を一匹、まるで吸った蛭のように、ずどうんと腰で摺り、欄干に、よれよれの兵児帯をしめつけたのを力綱に縋って、ぶら下がるように楫を取って下りて・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 坂を降りて北へ折れると、市場で、日覆を屋根の下にたぐり寄せた生臭い匂いのする軒先で、もう店をしもうたらしい若者が、猿股一つの裸に鈍い軒灯の光をあびながら将棋をしていましたが、浜子を見ると、どこ行きでンねンと声を掛けました。すると、浜子・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・師走だというのに夏服で、ズボンの股が大きく破れて猿股が見え、首に汚れたタオルを巻いているのは、寒さをしのぐためであろう。「はいれ。寒いだろう」「へえ。おおけに、済んまへん。おおけに」 ペコペコ頭を下げながら、飛び込むようにはいり・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 僕はその日、すぐに庭から六畳の縁側のほうへまわってみたのであるが、青扇は猿股ひとつで縁側にあぐらをかいていて、大きい茶碗を股のなかにいれ、それを里芋に似た短い棒でもって懸命にかきまわしていたのだ。なにをしているのですと声をかけた。・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・「書物は精神の外套であり、ネクタイでありブラシであり歯みがきではないか、ある人には猿股でありステッキではないか。」こう言われてみればそうであるが、自分はただなんとなくここをのぞく気にならないでいつでもすぐに正面の階段を登って行く、そして二階・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・この圧迫するような感じを救うためには猿股一つになって井戸水を汲み上げて庭樹などにいっぱいに打水をするといい。葉末から滴り落ちる露がこの死んだような自然に一脈生動の気を通わせるのである。ひきがえるが這出して来るのもこの大きな単調を破るに十分で・・・ 寺田寅彦 「夕凪と夕風」
・・・「猿股も脱しちまえ、とてもたまらん」 と云いながら、真ッ赤になるほど、身体中を掻いてる男もある。「アラ、まあ大変な虱よ」 赤い襷をかけた女工たちは、甲斐甲斐しく脱ぎ棄てられた労働服を、ポカポカ湯気の立ち罩めている桶の中へ突っ・・・ 徳永直 「眼」
出典:青空文庫