・・・』私『すると君の細君以上の獲物がありそうだと云う事になるが。』三浦『そうしたらまた君に羨んで貰うから好いじゃないか。』私はこう云う三浦の言の底に、何か針の如く私の耳を刺すものがあるのに気がつきました。が、夕暗の中に透して見ると、彼は相不変冷・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ そう思うと共に陳彩は、獲物を見つけた猟犬のように、油断なくあたりへ気を配りながら、そっとその裏門の前へ歩み寄った。が、裏門の戸はしまっている。力一ぱい押して見ても、動きそうな気色も見えないのは、いつの間にか元の通り、錠が下りてしまった・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ と思わず呟いて苦笑した。「待てよ」 獲物を、と立って橋の詰へ寄って行く、とふわふわと着いて来て、板と蘆の根の行き逢った隅へ、足近く、ついと来たが、蟹の穴か、蘆の根か、ぶくぶく白泡が立ったのを、ひょい、と気なしに被ったらしい。・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 昨日一昨日雨降りて、山の地湿りたれば、茸の獲物さこそとて、朝霧の晴れもあえぬに、人影山に入乱れつ。いまはハヤ朽葉の下をもあさりたらむ。五七人、三五人、出盛りたるが断続して、群れては坂を帰りゆくに、いかにわれ山の庵に馴れて、あたりの地味・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・結局はマダ解らんが、電報が来る度毎に勝利の獲物が次第に殖えるから愉快で堪らん。社では小使給仕までが有頂天だ。号外が最う刷れてるんだが、海軍省が沈黙しているから出す事が出来んで焦り焦りしている。尤も今日は多分夕方までには発表するだろうと思うが・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・そこにいて、さっきから獲物をねらっていた、恐ろしい怪物に気がつかなかったのでした。「私は、おまえをとろうとは思っていない。私は、いまなにもたべたくない。静かに、昔のことを思っていたのだ。春から夏にかけては、私たち、生物は、だれもかれも幸・・・ 小川未明 「冬のちょう」
・・・その男は、傲慢でありまして、なにも獲物なしに帰る猟人を見ますと鼻の先で笑いました。「私は、これまで山へはいって、から手で家へ帰ったことはない。こんどもこうして山へはいれば、きつねか、おおかみか、大ぐまをしとめて、土産にするから、どうか私・・・ 小川未明 「猟師と薬屋の話」
・・・彼はまるで獲物を捕った虎のように刳物台を抑え込んでしまっている。人は彼が聾であって無類のお人好であることすら忘れてしまうのである。往来へ出て来た彼は、だから機械から外して来たクランクのようなものである。少しばかり恰好の滑稽なのは仕方がないの・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・――その日から自分はまた、その日の獲物だった崖からの近道を通うようになった。 それはある雨あがりの日のことであった。午後で、自分は学校の帰途であった。 いつもの道から崖の近道へ這入った自分は、雨あがりで下の赤土が軟くなっているこ・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・美しき獲物ぞ。とのどかに葉巻を燻らせながら、しばらくして、資産家もまた妙ならずや。あわれこの時を失わじ。と独り笑み傾けてまた煙を吐き出しぬ。 峰の雲は相追うて飛べり。松も遠山も見えずなりぬ。雨か。鳥の声のうたたけわしき。 ・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫