・・・現にあのさん・じょあん・ばちすたさえ、一度などは浦上の宗徒みげる弥兵衛の水車小屋に、姿を現したと伝えられている。と同時に悪魔もまた宗徒の精進を妨げるため、あるいは見慣れぬ黒人となり、あるいは舶来の草花となり、あるいは網代の乗物となり、しばし・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・それが今不意に目の前へ、日の光りを透かした雲のような、あるいは猫柳の花のような銀鼠の姿を現したのである。彼は勿論「おや」と思った。お嬢さんも確かにその瞬間、保吉の顔を見たらしかった。と同時に保吉は思わずお嬢さんへお時儀をしてしまった。 ・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・松は濡れ手を下げたなり、銅壺の見える台所の口に、襷がけの姿を現していた。「どこだい?」「どちらでございますか、――」「しょうがないな、いつでもどちらでございますかだ。」 洋一は不服そうに呟きながら、すぐに茶の間を出て行った。・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・なるほどひと晩のことだから一つに纏めて現した方が都合は可いかも知れないが、一時間は六十分で、一分は六十秒だよ。連続はしているが初めから全体になっているのではない。きれぎれに頭に浮んで来る感じを後から後からときれぎれに歌ったって何も差支えがな・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 大空には、あたかもこの海の沖を通って、有磯海から親不知の浜を、五智の如来へ詣ずるという、泳ぐのに半身を波の上に顕して、列を造って行くとか聞く、海豚の群が、毒気を吐掛けたような入道雲の低いのが、むくむくと推並んで、動くともなしに、見てい・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・蓋し僕には観音経の文句――なお一層適切に云えば文句の調子――そのものが難有いのであって、その現してある文句が何事を意味しようとも、そんな事には少しも関係を有たぬのである。この故に観音経を誦するもあえて箇中の真意を闡明しようというようなことは・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・(烏の頭を頂きたる、咽喉の黒き布をあけて、少き女の面を顕し、酒を飲まんとして猶予あれ、ここは私には口だけれど、烏にするとちょうど咽喉だ。可厭だよ。咽喉だと血が流れるようでねえ。こんな事をしているんだから、気になる。よそう。まあ、独言を云って・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ぞっと身振いをするほど、著しき徴候を現したのである。しかし何というても二人の関係は卵時代で極めて取りとめがない。人に見られて見苦しい様なこともせず、顧みて自ら疚しい様なこともせぬ。従ってまだまだ暢気なもので、人前を繕うと云う様な心持は極めて・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・来の氏族政治を廃して、藤氏の長者に取って代って陪臣内閣を樹立したのは、無爵の原敬が野人内閣を組織したよりもヨリ以上世間の眼をらしたもんで、この新鋭の元気で一足飛びに欧米の新文明を極東日本の蓬莱仙洲に出現しようと計画したその第一着手に、先ず欧・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・と、良ちゃんは、けっして、自分のものにはしないから、ただ手に取らしてよく見せてくれないかということを、顔色に現していいました。「ええ、見せてあげますわ。けれど、あげるのではなくてよ。」と、いって、お姉さんは、ハンドバッグから、シャープ=・・・ 小川未明 「小さな弟、良ちゃん」
出典:青空文庫