・・・このような云わば一元的 one dimensional な権威といえども学修者研究者にとって甚だ必要なものである事は勿論である。 今ここに夏休みに温泉に出かけようとする人がある。その人にとっては先ず全国の温泉案内書のようなものは甚だ重宝・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・ こういう点から見て、自分は維新前後における西洋文明の輸入には、甚だ敬服すべきものが多いように思っている。徳川幕府が仏蘭西の士官を招聘して練習させた歩兵の服装――陣笠に筒袖の打割羽織、それに昔のままの大小をさした服装は、純粋の洋服となっ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・現在の門は東向きであるが、昔は北に向い、道端からはずっと奥深い処にあったように思われるが、しかしこの記憶も今は甚だおぼろである。その頃お酉様の鳥居前へ出るには、大音寺前の辻を南に曲って行ったような気がする。辻を曲ると、道の片側には小家のつづ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ただ自分が自分に対すると甚だ気の毒であった。そのうち愚図々々しているうちに、この己れに対する気の毒が凝結し始めて、体のいい往生となった。わるく云えば立ち腐れを甘んずる様になった。其癖世間へ対しては甚だ気きえんが高い。何の高山の林公抔と思って・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・人々は各ニイチェの多様質の宇宙の中から、夫々の部分をとつて自家の食餌にしてゐる故、見方によればそのすべてがニイチェズムでもあるけれども、同様にまた、そのすべてがニイチェズムでないのである。甚だしきは独逸近代の軍国主義さへも、ニイチェの影響だ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・家して一戸の主人となることあるゆえ女子に異なりと言わんかなれども、女子ばかり多く生れたる家にては、其内の一人を家に置き之に壻養子して本家を相続せしめ、其外の姉妹にも同様壻養子して家を分つこと世間に其例甚だ多し。左れば子に対して親の教を忽にす・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・時は六時を過ぎた位であるが、ぼんやりと曇った空は少しの風もない甚だ静かな景色である。窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀が三枚ばかり載せてあって、その東側から登りかけて居る糸瓜は十本ほどのやつが皆瘠せてしもうて、まだ棚の上までは得取り・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・けれども、実際にあたると、文化は複雑な有機体であって、建設的である過程も甚だいりくんでいる。 この間こんな話をきいた。明日の日本の文化と精神の建設について研究してそのための役についている人から、日本人にはもっとシェークスピアを理解させな・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・皆の顔を見て会釈して、「遅くなりまして甚だ」と云いながら、畳んだ坐具を右の脇に置いて、戸川と富田との間の処に据わった。 寧国寺さんという曹洞宗の坊さんなのである。金田町の鉄道線路に近い処に、長い間廃寺のようになっていた寧国寺という寺があ・・・ 森鴎外 「独身」
・・・却説去廿七日の出来事は実に驚愕恐懼の至に不堪、就ては甚だ狂気浸みたる話に候へ共、年明候へば上京致し心許りの警衛仕度思ひ立ち候が、汝、困る様之事も無之候か、何れ上京致し候はば街頭にて宣伝等も可致候間、早速返報有之度候。新年言志・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫