・・・絵日傘をさした田舎くさいドイツ人夫婦が恐ろしくおおぜいの子供をつれて谷を見おろしていた。 動物園がある。熊にせんべいを買って口の中へ投げ込んでやる。口をいっぱいにあいて下へ落ちたせんべいのありうる可能性などは考えないで悠然として次のを待・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・その方と秋山さんの親御が、区役所の兵事課へ突然車をおつけになって、小野某と云う者が、田舎の何番地にいる筈だが、そこへ案内しろと仰ったそうです。兵事課じゃ、何か悪いことでもあったかと吃驚したそうでござえんすがね、何々然云う訳じゃねえ、其小野某・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・――若し彼女がうけいれてくれるならば、竹びしゃく作りになって永久に田舎に止まるだろう。労働者トリオの最後の一人となって朽ちるだろう。――そしてその方が三吉の心を和ませさえした。満足した母親の顔と一緒に、彼女の影像がかぎりなくあたたかに映って・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ わたくしは戦後人心の赴くところを観るにつけ、たまたま田舎の路傍に残された断碑を見て、その行末を思い、ここにこれを識した。時維昭和廿二年歳次丁亥臘月の某日である。 ○ 千葉街道の道端に茂っている八幡不知の藪・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・商売柄だけに田舎者には相応に機転の利く女房は自分が水を汲んで頻りに謝罪しながら、片々の足袋を脱がして家へ連れ込んだ。太十がお石に馴染んだのは此夜からであった。そうして二三日帰らなかった。女の切な情というものを太十は盲女に知ったのである。目が・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・演説者は濁りたる田舎調子にて御前はカーライルじゃないかと問う。いかにもわしはカーライルじゃと村夫子が答える。チェルシーの哲人と人が言囃すのは御前の事かと問う。なるほど世間ではわしの事をチェルシーの哲人と云うようじゃ。セージと云うは鳥の名だに・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・学校を卒えてからすぐ田舎の中学校に行った。それから暫く山口の高等学校にいたが、遂に四高の独語教師となって十年の歳月を過した。金沢にいた十年間は私の心身共に壮な、人生の最もよき時であった。多少書を読み思索にも耽った私には、時に研究の便宜と自由・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・軍律を厳守することでも、新兵を苛めることでも、田舎に帰って威張ることでも、すべてにおいて、原田重吉は模範的軍人だった。それ故にまた重吉は、他の同輩の何人よりも、無智的な本能の敵愾心で、チャンチャン坊主を憎悪していた。軍が平壌を包囲した時、彼・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・お前さんたちがどんなに田舎者見てえな恰好をしてたって、番頭に化けたって、腰弁に化けて居たって、第一、おめえさんなんぞ、上はアルパカだが、ズボンがいけねえよ。晒しでもねえ、木綿の官品のズボンじゃねえか。第一、今時、腰弁だって、黒の深ゴムを履き・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・我輩は斯る田舎らしき外面を装うよりも、婦人の思想を高きに導き、男女打交りて遊戯談笑自由自在の間にも、疑わしき事実の行われざるを願う者なり。教育の必要も此辺に在りと知る可し。籠の中に鳥を入れ、此鳥は高飛せずとて悦ぶ者あるも感服するに足らず。我・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫