・・・ 震災前と比べて王子赤羽界隈の変り方のはげしいのに驚いた。近頃の東京近郊の面目を一新させた因子のうちで最も有効なものと云えば、コンクリートの鋪装道路であろうと思われる。道路に土が顔を出している処には近代都市は存在しないということになるら・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・この袋町への入口の両脇に「ユヤ」「床屋」としてある。この界隈の右方に鳥居をかいて「三島神社」とある。それから下の方へ下がった道脇に「正門」とあるのはたぶん前田邸の正門の意味かと思われる。 もちろん仰向けに寝ていて描いたのだと思うがなかな・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・こういう男がこの界隈のビルディング街の住民であろうとは思われない。いずれ芝か麻布へんから来たものとすれば、たとえば日比谷へんで多数の人のいる所で道を聞いてもよさそうなものである。それがこのさびしい夜の仲通りを、しかも東から西へ向かって歩きな・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
この一、二年何のかのと銀座界隈を通る事が多くなった。知らず知らず自分は銀座近辺の種々なる方面の観察者になっていたのである。 唯不幸にして自分は現代の政治家と交らなかったためまだ一度もあの貸座敷然たる松本楼に登る機会がなかったが、し・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・「いやこれは夜中はなはだ失礼で……実は近頃この界隈が非常に物騒なので、警察でも非常に厳重に警戒をしますので――ちょうど御門が開いておって、何か出て行ったような按排でしたから、もしやと思ってちょっと御注意をしたのですが……」 余はよう・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・今の高等商業のある界隈一面がこの学校兼大学であった。明治十七年、貴方がたがまだ生れない先、私は其所へ這入ったのです。それから――実は落第しております。落第して愚図愚図している内にこの学校が出来た。この学校が出来て最も新らしい所へいの一番に乗・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・ 朝のコリー 十年ぐらいの間に、その界隈の様子は随分変って来たのだが、特別この一、二年に新しい屋敷がどんどん出来た。坪二百五十円であるとか、それではこの辺一帯の地価に対して高すぎる、だから売れない。そんな噂があ・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・ 一九二四年の今日、林町界隈であの時代のままあるのは、僅に藤堂家の森だけとなった。古い桜樹と幾年か手を入れられたことなく茂りに繁った下生えの灌木、雑草が、かたばかりの枸橘の生垣から見渡せた懐しいコローの絵のような松平家の廃園は、丸善のイ・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・古い杉の樹が奥暗く茂っていて、夜は五位鷺の声が界隈の闇を劈いた。夏は、その下草の間で耳を聾するばかりガチャガチャが鳴いた。 杉林の隣りに細い家並があって、そこをぬける小路の先は、又広々とした空地であった。何でも松平さんの持地だそうであっ・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・そうしてこの祖父が生きていたことは、この界隈の老人連に対して、生命の保証のように感じられていたに相違ないのです。その祖父が死んだ、それがこの老人連にどんな印象を与えたか、――彼はやっとそこに気づきました。彼が物心がついた時には祖父はもう七十・・・ 和辻哲郎 「土下座」
出典:青空文庫