・・・ チェイン・ローは河岸端の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在る。番地は二十四番地だ。 毎日のように川を隔てて霧の中にチェルシーを眺めた余はある朝ついに橋を渡ってその有名なる庵りを叩いた。 庵りというと物寂び・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・わたくしはただいまから頼んでおいて Rue Romaine 十八番地に落ち着きますことにいたしましょう。 わたくしはこんなに手短に乾燥無味に書きます。これは少し気分が悪いからでございます。電信をお発し下すったなら、明後日午後二時から六時・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・へ私は神田八丁堀二丁目五十五番地ふくべ屋呑助と申します、どうかお見知りおかれて御別懇に願います。まだ無礼な事申しちょるか。恐れ入りました。見受ける処がよほど酩酊のようじゃが内には女房も待っちょるだろうから早う帰ってはどじゃろうかい。有り難う・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・ 天井裏街一番地、ツェ氏は昨夜行くえ不明となりたり。本社のいちはやく探知するところによればツェ氏は数日前よりはりがねせい、ねずみとり氏と交際を結びおりしが一昨夜に至りて両氏の間に多少感情の衝突ありたるもののごとし。台所街四番地ネ氏の談に・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・わしの名刺に向うの番地を書いてやるから、そこへすぐ今夜行きなさい。」 ネネムは名刺を呉れるかと思って待っていますと、博士はいきなり白墨をとり直してネネムの胸に、「セム二十二号。」と書きました。 ネネムはよろこんで叮寧におじぎをして先・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・云わば、番地入りの地図として書かれている。それだからこそ、私たちの生活の必要にぴったりと結びついており、生活的関心はトピックに対する最も強い興味であることを証明しているのであると思う。 食糧問題についても、私たちは随分長いこと、分不相応・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・ 私は、私より二寸位背の高い彼の人が、私の貸した本を腕一杯に抱えて、はじけそうな、銀杏返しを見せて振り向きもしないで、町風に内輪ながら早足に歩いて行く後姿なんかを思いながらフイと番地を聞いて置かなかった、自分の「うかつ」さをもう取り返し・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 町の名、番地を書いてある紙片を手にもって、曲り角を見上げては、右へ、また右へと静かな通りを進みました。 暫く行くと左側に「母と子の健康相談所」のカンバンの出た建物がある。その二軒ばかり先が「五月一日の子供の家」です。 もとは誰・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・何番地何某」と、姓だけしか書いてない紙が板塀や電信柱に貼られている。そこに、和服裁縫の内職という仕事にからみついている独特な雰囲気がある。 この節のようなインフレーションでどの家でも貯金もなくなり、子供に一本の飴でも食べさせたいため、ま・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・「小石川区小日向台町何丁目何番地に新築落成して横浜市より引き移りし株式業深淵某氏宅にては、二月十七日の晩に新宅祝として、友人を招き、宴会を催し、深更に及びし為め、一二名宿泊することとなりたるに、其一名にて主人の親友なる、芝区南佐久間町何・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫