・・・なつかしいという形のない心は、お互いのことばによって疎通せらるる場合が多いが、それは尋常の場合に属することであろう。 今省作とおとよとは逢っても口をきかない。お千代が前にいるからというわけでもなく、お互いにすねてるわけでもない。物を言わ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・意志が疏通しないから起こる誤解である。 しかしあらゆる誤解を予想してこれに備える事は神様でなければむつかしい。ここにも案内者と被案内者の困難がある。 私のやっかいになったポツオリの案内者は別れぎわにさらに余分の酒代をねだって気長・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・それがまた特に合議者間に平素から意思の疎通を欠いでいるような場合だと、甲の持ち出す長所は乙の異議で疵がつき、乙の認める美点は甲の詮索でぼろを出すということが往々ある。結局大勢かかればかかる程みんなが「検事」の立場になって、「弁護士」は一人も・・・ 寺田寅彦 「学位について」
自然現象の科学的予報については、学者と世俗との間に意志の疎通を欠くため、往々に種々の物議を醸す事あり。また個々の場合における予報の可能の程度等に関しては、学者自身の間にも意見は必ずしも一定せざる事多し。左の一篇は、一般に予・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・の系列が介在している場合はなおさら科学的方策の上下疎通が困難になる道理である。 具体的に言うことができないのは遺憾であるが、自分の知っている多数の実例において、科学者の目から見れば実に話にもならぬほど明白な事がらが最高級な為政者にどうし・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・流し口の穴のつまったのをこうして疎通させる工夫と見える。流しの鉛管をつまらせる事は日本人の特長であるらしい。 看護婦が手押車に手術器械薬品をのせたのを押して行く。西日が窓越しに看護婦の白衣と車の上のニッケルに直射する。見る目が痛い。手術・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・これは求めるものと与えるものとの意志の疎通せぬためである。此方ではツァイスの顕微鏡を要求しているのに露店で売っている虫眼鏡をよこして「見える」「見える」と云って主張するようなものである。 とにかくアンテナを拡張し、完全なアースをすれば聞・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・ こういう時代において、それ自身だけに任せておくととかく立ち枯れになりやすい理論に生命の水をそそぎ、行き詰まりになりやすい抽象に新しい疎通孔をあけるには、やはりいろいろの実験が望ましい。それには行ない古したことの精査もよいが、また別に何・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・答案が有力であるためには明暸でなければならん、せっかくの名答も不明暸であるならば、相互の意志が疏通せぬような不都合に陥ります。いわゆる技巧と称するものは、この答案を明暸にするために文芸の士が利用する道具であります。道具は固より本体ではない。・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・主人と犬との間にひとりでに生じる感情の疎通で、いつとなく互に要求が解るだけでよい。故意と仕込むのは、植木に盆栽と云う変種を作って悦ぶ人間のわるい小細工としか思われない。世にも胸のわるいのは、欧州婦人がおもちゃにする、小さな、ひよわい、骸骨に・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
出典:青空文庫