・・・色々の事を、はっきりと教えてくれるので、私も私の疑念を放棄せざるを得なかった。なんだか、がっかりした。自分の平凡な身の上が不満であった。 先日、未知の詩人から手紙をもらった。その人も明治四十二年六月十九日の生れの由である。これを縁に、一・・・ 太宰治 「六月十九日」
・・・この一編を書くようになった動機はむしろこの点に対する私の不可解な疑念であると言ってもいい。 私は子供の時分から、医者の診察を受けている場合にきっと笑いたくなるという妙な癖がある。この癖は大きくなってもなかなか直らなくて、今でもその痕・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・強盗だのと、殺伐残忍の話ばかり、少しく門構の大きい地位ある人の屋敷や、土蔵の厳めしい商家の縁の下からは、夜陰に主人の寝息を伺って、いつ脅迫暗殺の白刄が畳を貫いて閃き出るか計られぬと云うような暗澹極まる疑念が、何処となしに時代の空気の中に漂っ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通り・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・一条は云々、とて、互に竊に疑うこともあり憤ることもありて、多年苦々しき有様なりしかども、天下一般、分を守るの教を重んじ、事々物々秩序を存して動かすべからざるの時勢なれば、ただその時勢に制せられて平生の疑念憤怒を外形に発すること能わず、或は忘・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・て盛名をうたわれ、幾何もなくアメリカに去った田村俊子氏の生活経緯を見て居られることもあって、女性と芸術生活との問題については、それが特に日本の社会での実際となった場合、進歩的な見解の半面にいつも一抹の疑念、不確実さを感じていられたのではなか・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
出典:青空文庫