・・・ 私は二人の子供の前へ自分の足を投げ出して見せた。病気以来肉も落ち痩せ、ずっと以前には信州の山の上から上州下仁田まで日に二十里の道を歩いたこともある脛とは自分ながら思われなかった。「脛かじりと来たよ。」 次郎は弟のほうを見て笑っ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・きっと病気で苦しみとおしてなくなってしまいますから。ですがあなたこれで二度私をおぶちになりましたよ。」 こう言われて、ギンは、しまったと思いました。もうあと一度になりました。もう一度うっかりぶちでもしたら、女はもうそれきり水の中へかえっ・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・誰かが病気になったとか、お金を無くしたとか、誰かが跡を雇い次がれないことになったとかいうようなことを調べているに違いないわ。そんなにしていて獲ものを待つのだわ。水先案内が、人の難船するのを待っていて自分の収入にするのと同じ事だわ。だがね、や・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・ 検事は、男を、病気も重いことだし、不起訴にしてやってもいいと思っていたらしい。男は、それを見抜いていた。一日、男を呼び出して、訊問した。検事は、机の上の医師の診断書に眼を落しながら、「君は、肺がわるいのだね?」 男は、突然、咳・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・ 病気はほんとうに治ったのでないから、息が非常に切れる。全身には悪熱悪寒が絶えず往来する。頭脳が火のように熱して、顳がはげしい脈を打つ。なぜ、病院を出た? 軍医があとがたいせつだと言ってあれほど留めたのに、なぜ病院を出た? こう思ったが・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ しかし病気はそれだけではなかった。第一の手術で「速度の相対性」を片付けると、必然の成行きとして「重力と加速度の問題」が起って来た。この急所の痛みは、他の急所の痛みが消えたために一層鋭く感ぜられて来た。しかしこの方の手術は一層面倒なもの・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・彼は兄の病臥している山の事務所を引き揚げて、その時K市のステーションへ著いたばかりであったが、旅行先から急電によって、兄の見舞いに来たので、ほんの一二枚の著替えしかもっていなかったところから、病気が長引くとみて、必要なものだけひと鞄東京の宅・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ と訊いたとき、三吉は、「おれ、病気なんだ」 と答えたきりだった。けげんな顔をしている相手にいくら説明したところで、それは無駄だと思った。「おれ、東京へゆく」 送別会にもでなかった高島が、福岡へ発ってしまってから、三吉は・・・ 徳永直 「白い道」
・・・まだ病気にならぬ頃、わたくしは同級の友達と連立って、神保町の角にあった中西屋という書店に行き、それらの雑誌を買った事だけは覚えているが、記事については何一つ記憶しているものはない。中西屋の店先にはその頃武蔵屋から発行した近松の浄瑠璃、西鶴の・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・「それを心配するから迷信婆々さ、あなたが御移りにならんと御嬢様の御病気がはやく御全快になりませんから是非この月中に方角のいい所へ御転宅遊ばせと云う訳さ。飛んだ預言者に捕まって、大迷惑だ」「移るのもいいかも知れんよ」「馬鹿あ言って・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
出典:青空文庫