・・・ 伍長が病的に笑って、湯呑みをチン/\叩きだした。「やめろ!」 彼等は、髪や爪が焼ける悪臭を思い浮べた。雪に包まれた江の向うの林に薄い紫色の煙が上りだした。「誰れやこしだったんだ?」 腰に弾丸がはまっている初田がきいた。・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・あの作は透谷君の得意の作では無論無かったと思うが、でも私にはその病的な方面が窺われるかと思う。文学界に関係される頃から、透谷君は半ば病める人であったと、後になって気が着いたが、皆と一緒になって集って話していても、直ぐに身体を横にしたり、何か・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・よっぽど濃密の関係で自分と他者と転倒しているくらいの場合に、いわば病的に自分が死ぬる。または極局身後の不名誉の苦痛というようなものを想像して自分が死ぬることもある。所詮同情の底にも自己はあるように思われてならない。こんな風で同情道徳の色彩も・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・彼は彼の制作よりも寧ろ彼の為人の裡に詩を輝かす病的、空想的の人物であった。未だ見ぬ太宰よ。ぶしつけ、ごめん下さい。どうやら君は、早合点をしたようだ。君は、ボオドレエルを掴むつもりで、ボ氏の作品中の人物を、両眼充血させて追いかけていた様だ。我・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・そしてそれが習慣になると、病的になって、本能の充分の働きをすることができなくなる。先生のはきっとそれだ。つまり、前にも言ったが、肉と霊とがしっくり調和することができんのだよ。それにしてもおもしろいじゃないか、健全をもってみずからも任じ、人も・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 内分泌の病的異常が情緒の動きに異常な影響を及ぼす一方で、外的な精神的の刺激が内分泌の均衡に異常を生じうることも知られているようである。映画の場合でも、官能の窓から入り込む生理的刺激が一度心理的に翻訳された後にさらにそれが生理的に反応す・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・一見いかに現在の道徳観を擾乱するように思われるものであっても、また一見いかに病的な情緒に満ちたものであっても、それが多数の健全なる理性の所有者にとっていわゆる芸術的価値を多少なりとも認め得られるとすれば、それはただその作品の中に「記録」と「・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・それで時々彼を見舞いに来る友人らがなんの気なしに話す世間話などの中から皮肉な風刺を拾い上げ読み取ろうとする病的な感受性が非常に鋭敏になっていた。たとえば彼と同病にかかっていながら盛んに活動している先輩のうわさなどが出ると、それが彼に対する直・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・と言ったら、友人の哲学者は「どうも少し病的のようだ」と答えた。魚が病的だというのか、そういうことをいうのが病的だか、それとも、こういう魚を飼うことがそうなのかわからなかった。魚はそのうちに器底に沈んで、あっちへ壁のほうを向いてしっぽをこっち・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ことに文句に絶えず頭を使いながらせき込んで印字機の鍵盤をあさる時、ひき慣れないむつかしい楽曲をものにしようとして努力する時、そういう時には病的に過敏になった私の胃はすぐになんらかの形式で不平を申し出した。しかしこれは手や指を使うというよりも・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
出典:青空文庫