・・・ 実際もし映画殊に発声映画の技術が発達を重ねて行ってその器械がもう少し安くなって一般の使用に便利なようになれば、多くの学校の無味乾燥な教授の大部分は映画で置換えられるであろう。全級一度に教授することによって教員の手が明く。先生方はそうし・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・動物の中でもたとえばこおろぎや蝉などでは発声器は栄養器官の入り口とは全然独立して別の体部に取り付けられてあるのである。だから人間でも脇腹か臍のへんに特別な発声器があってもいけない理由はないのであるが、実際はそんなむだをしないで酸素の取り入れ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 吹き込みが終わった文学士は額の汗を押しぬぐいながらその装置を取りはずして、さらに発声用の振動膜とラッパを取りつけた。器械が動きだすとともに今の歌がそろそろ出て来た。それは妙に押しつぶされたような鼻声ではあったが、ともかくも文学士の特徴・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・それから四十年後の近ごろになって新聞で潜航艇ノーチラスの北極探検に関する記事を読み、パラマウント発声映画ニュースでその出発の光景を見ることになったわけである。この「海底旅行」や「空中旅行」「金星旅行」のようなものが自分の少年時代における科学・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・今、もしも、こういう場面の発声ニュース映画の撮影映画が許容されるとしたら、どうであろう。多少の弊害もあるかもしれないが、観客に人間の本性に関する「真」の一面の把握を教えるものとしてはおそらく絶好な題目の一つとなるであろう。こういう種類のテー・・・ 寺田寅彦 「ニュース映画と新聞記事」
・・・ 普通の発声映画の場合には色彩は問題にならない。カメラの目は全色盲だからである。しかし音の音程や音色は実にヴァイタルな重要性をもっている。ソプラノがベースに聞こえたりうぐいすの声が鵞鳥のように聞こえるのでは打ちこわしである。前述のピスト・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
・・・ 二人ともにあるいは昔からの活動写真、近ごろの発声映画のファンででもあるかとも考えてみた。そうとでも仮定しなければ他に説明のしかたのないほどに、あく抜けのしたヤンキータイプを見せていた。 喫茶店などで見受ける若い男女に活動仕込みの表・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・という発声を聞いただけで話し手の顔がありありと面前に出現するのは全く不思議である。 これと同じような聯想作用に関係しているためかと思われるのは、例えば落語とか浪花節とかを宅のラジオで聞くと、それがなんとなくはなはだ不自然な、あるまじきも・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・もちろんこれらの連句はさらにより多く発声映画のシナリオとして適切なものであるが、しかし適当に使えばここにいわゆるモンタージュ的放送の台本としてもまた立派に役立つものと思われる。 以上はただ、放送事業の実際にうとい一学究のはなはだしい空想・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・ そして、初めはなんとなく弱く、あるいは数も少いその歌声が、やがてもっと多くの、まったく新しい社会各面の人々の心の声々を誘いだし、その各様の発声を錬磨し、諸音正しく思いを披瀝し、新しい日本の豊富にして雄大な人民の合唱としてゆかなければな・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
出典:青空文庫