・・・彼らはじつにいっさいの人間の活動を白眼をもって見るごとく、強権の存在に対してもまたまったく没交渉なのである――それだけ絶望的なのである。 かくて魚住氏のいわゆる共通の怨敵が実際において存在しないことは明らかになった。むろんそれは、かの敵・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・骨組の逞ましい、この女の足袋は、だふついて汚れていた……赤ら顔の片目眇で、その眇の方をト上へ向けて渋のついた薄毛の円髷を斜向に、頤を引曲げるようにして、嫁御が俯向けの島田からはじめて、室内を白目沢山で、虻の飛ぶように、じろじろと飛廻しにみま・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ と半分目を眠って、盲目がするように、白眼で首を据えて、天井を恐ろしげに視めながら、「ものはあるげにござりまして……旧藩頃の先主人が、夜学の端に承わります。昔その唐の都の大道を、一時、その何でござりまして、怪しげな道人が、髪を捌いて・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・互いに話はしても、妻は絶えず白眼を動かしている。吉弥はまた続けて恥かしそうにしている。仲に立った僕は時に前者に、時に後者に、同情を寄せながら、三人の食事はすんだ。妻が不断飲まない酒を二、三杯傾けて赤くなったので、焼け酒だろうと冷かすと、東京・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・眉毛が濃く、奥眼だったが、白眼までも黒く見えた。耳の肉がうすく、根まで透いていた。背が高く、きりっと草履をはいて、足袋の恰好がよかった。傍へ来られると、坂田はどきんどきんと胸が高まって、郵便局の貯金をすっかりおろしていることなど、忘れたかっ・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ かれ男爵、ただ酒を飲み、白眼にして世上を見てばかりいた加藤の御前は、がっかりしてしまった。世上の人はことごとく、彼ら自身の問題に走り、そがために喜憂すること、戦争以前のそれのごとくに立ち返った。けれども、男は喜憂目的物を失った。すなわ・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・屹度三人の方を白眼で「大馬鹿者!」と大声に一喝した。この物凄い声が川面に鳴り響いた。 対岸の三人は喫驚したらしく、それと又気がついたかして忽ち声を潜め大急ぎで通り過ぎて了った。 富岡老人はそのまま三人の者の足音の聞こえなくなるまで対・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・それが怪しげな眼つきをしてじろじろと白眼みでもすると厭である。また船が出た後であっては間抜けている。そして小母さんに自分などは来なくてもいいのにと思われると何だかきまりが悪い。こう思って決心がつかない。しばらくぼんやりと立って、その伯父さん・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・大きくって親切らしいまじめな目や、小さくかがやくあいきょうのある子どもの目や、白目の多過ぎるおこったらしい目や、心の中まで見ぬきそうなすきのない目などがありました。またそこに死んでいるむすめをなつかしそうに打ち見やる、大きなやさしい母らしい・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・目の男は懐中に入れた樫のばちを取り出し、ちょっと調子をしらべる三の糸から直ぐチントンシャンと弾き出して、低い呂の声を咽喉へと呑み込んで、 あきイ――の夜と長く引張ったところで、つく息と共に汚い白眼をきょろりとさせ、仰向ける顔と共に首・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫