・・・ 俺の入った留置場は一号監房だったが、皆はその留置場を「特等室」と云って喜んでいた。「お前さん、いゝ処に入れてもらったよ。」と云われた。 そこは隣りの家がぴッたりくッついているので、留置場の中へは朝から晩まで、ラジオがそのまんま・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・留置場でもストーヴの側の監房は少しはよかったが、そうでない処は坐ってその上に毛布をかけていても、膝がシン/\と冷たくなる。朝眼をさますと、皆の寝ている起伏の上に雪が一杯ふりかゝっているので吃驚するが、それは雪が吹きこんできたのではなくて、夜・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・ 畳にしたら百枚も敷けるだろう室は、五燭らしいランプの光では、監房の中よりも暗かった。私は入口に佇んでいたが、やがて眼が闇に馴れて来た。何にもないようにおもっていた室の一隅に、何かの一固りがあった。それが、ビール箱の蓋か何かに支えられて・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ そうなるためには、留置場や、監房は立派な教材に満ちていた。間違って捕っても、彼の入る所は、云わば彼の家であった。そこには多くの知り合いがいた。白日の下には、彼を知るものは悉くが、敵であった。が、帰って行けば、「ふん、そいつはまずか・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ あらゆる監房からは、元気のいい声や、既に嗄れた声や、中にはまったく泣声でもって、常人が監獄以外では聞くことのできない感じを、声の爆弾として打ち放った。 これ等の声の雑踏の中に、赤煉瓦を越えて向うの側から、一つの演説が始められた。・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・ ギラギラする光の中から、地下室の監房のような船室へ、いきなり飛び込んだ彼は、習慣に信頼して、ズカズカと皿箱をとりに奥へ踏み込んだ。 皿箱は、床格子の上に造られた棚の中にあった。 彼は、ロープに蹴つまずいた。「畜生! 出鱈目・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
一 朝飯がすんで、雑役が監房の前を雑巾がけしている。駒込署は古い建物で木造なのである。手拭を引さいた細紐を帯がわりにして、縞の着物を尻はし折りにした与太者の雑役が、ズブズブに濡らした雑巾で出来るだけゆ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・治安維持法被告の非転向者は空襲がはじまると何時も監房の戸をかたく外から錠をかけられた。他の被告の監房の鎖ははずされた。私は宮本が「爆死」しなかったことをよろこんだ。〔五〕月初旬に大審院上告が却下された。無期徒刑囚として宮本は網走刑務所に移さ・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・彼等がそういう歩きつきになるのは出来るだけ長く監房の外に出ている時間をもちたいという、我知らぬ渇望からであった。きまった通路を、きまった場所へ、きまった目的のために、きまった時間内にしか歩かせられない。一本の通路の、どっち側を歩くかというこ・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・女でも、ひろい室の真中に一列に正座させて、どこにも背中のもたせられないようにし、すこし居眠りしていると監房の大きな錠前をひどい音でガチャン! とたたきつけて、おどろかした。時間ぎめで、順ぐり用便させるとき、すこし手間をかけている男に、きくに・・・ 宮本百合子 「本郷の名物」
出典:青空文庫