・・・父は官を辞した後商となり、その年の春頃から上海の或会社の事務を監督しておられたので、埠頭に立っていた大勢の人に迎えられ、二頭立の箱馬車に乗った。母とわたくしも同じくこの馬車に乗ったが、東京で鉄道馬車の痩せた馬ばかり見馴れた眼には、革具の立派・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・第二には、両親は逗子とか箱根とかへ家中のものを連れて行くけれど、自分はその頃から文学とか音楽とかとにかく中学生の身としては監督者の眼を忍ばねばならぬ不正の娯楽に耽りたい必要から、留守番という体のいい名義の下に自ら辞退して夏三月をば両親の眼か・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・へと参らざるべからざる不運に際会せり、監督兼教師は○○氏なり、悄然たる余を従えて自転車屋へと飛び込みたる彼はまず女乗の手頃なる奴を撰んでこれがよかろうと云う、その理由いかにと尋ぬるに初学入門の捷径はこれに限るよと降参人と見てとっていやに軽蔑・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・要するに二人の間は、年長者の監督のもとに立つある少女と、まだ修業ちゅうの身分を自覚するある青年とが一種の社会的な事情から、互いと顔を見合わせて、礼儀にもとらないだけの応対をするにすぎなかった。 だから自分は驚いたのである。重吉があがらず・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・とえば、各地方に令して就学適齢の人員を調査し、就学者の多寡をかぞえ、人口と就学者との割合を比例し、または諸学校の地位・履歴、その資本の出処・保存の方法を具申せしめ、時としては吏人を地方に派出して諸件を監督せしむる等、すべて学校の管理に関する・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ からすの大監督はなおさらうごきもゆらぎもいたしません。からすの大監督は、もうずいぶんの年老りです。眼が灰いろになってしまっていますし、啼くとまるで悪い人形のようにギイギイ云います。 それですから、烏の年齢を見分ける法を知らない一人・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・大学士は、また忙がしそうに、あちこち歩きまわって監督をはじめました。二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないように走りました。そしてほんとうに、風のように走れたのです。息も切れず膝もあつくなりませんでした。 こんなにしてかけ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・溝口という監督の熱心さ、心くばり、感覚の方向というものがこの作品には充実して盛られている。信州地方の風景的生活的特色、東京の裏町の生活気分を、対比してそれぞれを特徴において描こうとしているところ、又、主人公おふみの生きる姿の推移をその雰囲気・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ブルジョア・地主の工場のように、社長、重役とか主任とか監督とか、威張って搾るばかりが仕事の者は、ソヴェト同盟の工場のどこの隅をさがしてもいない。もう一つのコムソモール・ヤチェイカというのは、共産青年同盟細胞という意味である。 私は二つめ・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・舞台監督はこの新しき女優を神のごときサラと相並べることの不利を思って一時彼女を陰に置こうとした。しかしデュウゼはきかない。なあに競争しよう、比較していただこう。私は恐れはしない、Ci Sono auch' io なあに私だって女優だ。――そ・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫