・・・それから又斎藤さんと割り合にすいた省線電車に乗り、アララギ発行所へ出かけることにした。僕はその電車の中にどこか支那の少女に近い、如何にも華奢な女学生が一人坐っていたことを覚えている。 僕等は発行所へはいる前にあの空罎を山のように積んだ露・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・僕は風の寒いプラットホオムへ下り、一度橋を渡った上、省線電車の来るのを待つことにした。すると偶然顔を合せたのは或会社にいるT君だった、僕等は電車を待っている間に不景気のことなどを話し合った。T君は勿論僕などよりもこう云う問題に通じていた。が・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・わたしは憂鬱になって来ると、下宿の裏から土手の上にあがり、省線電車の線路を見おろしたりした。線路は油や金錆に染った砂利の上に何本も光っていた。それから向うの土手の上には何か椎らしい木が一本斜めに枝を伸ばしていた。それは憂鬱そのものと言っても・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・高架線を通る省線電車にはよくそういったマニヤの人が乗っているということですよ」「そうですかね。そんな一つの病型があるんですかね。それは驚いた。……あなたは窓というものにそんな興味をお持ちになったことはありませんか。一度でも」 その青・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・夕刊売りや鯉売りが暗い火を点している省線の陸橋を通り、反射燈の強い光のなかを黙々と坂を下りてゆく。どの肩もどの肩もがっしり何かを背負っているようだ。行一はいつもそう思う。坂を下りるにつれて星が雑木林の蔭へ隠れてゆく。 道で、彼はやはり帰・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・自分は雪の積った道を久し振りで省線電車の方へ向った。 二 お茶の水から本郷へ出るまでの間に人が三人まで雪で辷った。銀行へ着いた時分には自分もかなり不機嫌になってしまっていた。赤く焼けている瓦斯煖炉の上へ濡れて重くなっ・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・ 今はモウ自動車は省線のガードをくゞって、N町へ入っていた。 今年も、あと五日しかない。 独房小唄「……私この前ドストイエフスキーの『死の家の記録』を読んでから、そんな所で長い/\暗い獄舎の生活をしている兄さ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ 井伏さんも、その日、よっぽど当惑した御様子で、私と一緒に省線で帰り、阿佐ヶ谷で降り、改札口を出て、井伏さんは立ち止り、私の方にくるりと向き直って、こうおっしゃった。「よかったねえ。どうなることかと思った。よかったねえ。」 早稲・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・小坂家の玄関に於いて颯っと羽織を着換え、紺足袋をすらりと脱ぎ捨て白足袋をきちんと履いて水際立ったお使者振りを示そうという魂胆であったが、これは完全に失敗した。省線は五反田で降りて、それから小坂氏の書いて下さった略図をたよりに、十丁ほど歩いて・・・ 太宰治 「佳日」
・・・銀座のその雑誌社から日本橋のアパートへ帰るのに、省線か徒歩か、いずれにしても、新橋で飲むのが一ばん便利だったものですから、僕はたいていあの新橋辺の屋台を覗きまわっていたのでした。 いつか、柳田という、れいの抜け目の無い、自分で自分の顔の・・・ 太宰治 「女類」
出典:青空文庫