・・・という綴方は、池袋の叔母さんが、こんど練馬の春日町へお引越しになって、庭も広いし、是非いちど遊びにいらっしゃいと言われて私は、六月の第一日曜に、駒込駅から省線に乗って、池袋駅で東上線に乗り換え、練馬駅で下車しましたが、見渡す限り畑ばかりで、・・・ 太宰治 「千代女」
・・・ 戸田さんの家は郊外です。省線電車から降りて、交番で聞いて、わりに簡単に戸田さんの家を見つけました。菊子さん、戸田さんのお家は、長屋ではありませんでした。小さいけれども、清潔な感じの、ちゃんとした一戸構えの家でした。お庭も綺麗に手入れさ・・・ 太宰治 「恥」
・・・ち込んでお目に掛けんと固く決意仕り、ひとり首肯してその夜の稽古は打止めに致し、帰途は鳴瀬医院に立寄って耳の診察を乞い、鼓膜は別に何ともなっていませんとの診断を得てほっと致し、さらに勇気百倍、阿佐ヶ谷の省線踏切の傍なる屋台店にずいとはいり申候・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・ 三鷹駅から省線で東京駅迄行き、それから市電に乗換え、その若い記者に案内されて、先ず本社に立寄り、応接間に通されて、そうして早速ウイスキイの饗応にあずかりました。 思うに、太宰はあれは小心者だから、ウイスキイでも飲ませて少し元気をつ・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・曇天である。省線のガードが見える。 給仕人に背を向けて窓のそとを眺めたまま、「コーヒーと、それから、――」言いかけて、しばらくだまっていた。くるっと給仕人のほうへ向き直り、「まあ、いい。外へ出て、たべる。」「あ、君。」乙彦は、呼・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・服装まずしくとも足袋は必ず新しきを穿つべし、と茶の湯客の心得に書かれてある。省線の阿佐ヶ谷駅で降りて、南側の改札口を出た時、私は私の名を呼ばれた。二人の大学生が立っている。いずれも黄村先生のお弟子の文科大学生であって、私とは既に顔馴染のひと・・・ 太宰治 「不審庵」
省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。 市場で買い物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄って駅の冷いベンチに腰をおろし、買い物籠を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見ているので・・・ 太宰治 「待つ」
・・・絵の具箱へスケッチ板を一枚入れて、それと座ぶとん代わりの古い布切れとを風呂敷で包み隠したのをかかえて市内電車で巣鴨まで行った。省線で田端まで行く間にも、田端で大宮行きの汽車を待っている間にも、目に触れるすべてのものがきょうに限って異常な美し・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・去年はじめて省線電車で熱海へ行ったときは時間の短縮した代りに「昔の熱海」を捜すのに骨が折れた。大湯の近くまで来てみてやっと追憶の温泉町を発見したが、あまりに甚だしい変り方に呆れて何となく落着く気になれなかったので、そのまま次の汽車で引返して・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・水平に一線を画した高架線路の上を省線電車が走り、時に機関車がまっ白な蒸気を吐いて通る。それと直交し弓なりに立って見える呉服橋通りの道路を、緑色の電車のほかに、白、赤、青、緑のバスが奇妙な甲虫のようにはい上りはいおり行きちがっている。遠くには・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
出典:青空文庫