・・・道太は一度も入ったことのないその劇場が、どんな工合のものかと思って、入口へ寄って、場席の手入れや大道具の準備に忙しい中を覗いてみたが、その時はもう絵看板や場代なんかも出ていて、四つの出しもののうち、大切の越後獅子をのぞいたほか、三つとも揃っ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・その紳士は林のお父さんで、紳士のたっているうしろの西洋建物の、英語の看板のかかった商店が、林の生れたハワイの家だということであった。「ぼくが生れないずッとまえ、お父さんもお母さんも、労働者だったんだよ」 林はそう言って、また写真帳の・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 私は小学校へ行くほどの年齢になっても、伝通院の縁日で、からくりの画看板に見る皿屋敷のお菊殺し、乳母が読んで居る四谷怪談の絵草紙なぞに、古井戸ばかりか、丁度其の傍にある朽ちかけた柳の老木が、深い自然の約束となって、夢にまで私をおびえさせ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・御成街道にペンキ屋の長い看板があるから見て、御覧なさい。 楠一族の色彩ははなはだよろしい。第一調和しているようです。正成の細君は品があってよござんす、あの子も好い。みんな好い色だ。 私の厭なところと、好なところを性質から区別して並べ・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・ その時私は、未知の錯覚した町の中で、或る商店の看板を眺めていた。その全く同じ看板の絵を、かつて何所かで見たことがあると思った。そして記憶が回復された一瞬時に、すべての方角が逆転した。すぐ今まで、左側にあった往来が右側になり、北に向って・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・また、在町の表通りを見ても、店の看板、提灯、行灯等の印にも、絶えて片仮名を用いず。日本国中の立場・居酒屋に、めし、にしめと障子に記したるはあれども、メシ、ニシメと記したるを見ず。今このめしの字は俗なるゆえメシと改むべしなど国中に諭告するも、・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
汽笛一声京城を後にして五十三亭一日に見尽すとも水村山郭の絶風光は雲煙過眼よりも脆く写真屋の看板に名所古跡を見るよりもなおはかなく一瞥の後また跡かたを留めず。誰かはこれを指して旅という。かかる旅は夢と異なるなきなり。出ずるに・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・そして看板がかかって、「舶来ウェスキイ 一杯、二厘半。」と書いてありました。 あまがえるは珍らしいものですから、ぞろぞろ店の中へはいって行きました。すると店にはうすぐろいとのさまがえるが、のっそりとすわって退くつそうにひとりでべろべ・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・という立看板に散りかかっている。パン屋や菓子屋の店さきのガラス箱にパンや菓子がないように、女は自分の帽子なしで往来を歩いていても不思議がらないような日々の感情になって来た。 女の無智やあさましさのあらわれているような風がなくなったことは・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・とお家流で書いた看板の下を潜って、若い小学教員が一人度々出入をしていたということが、後になって評判せられた。 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫