・・・「眠いだろう?」 慎太郎はしゃがむように、長火鉢の縁へ膝を当てた。「姉さんはもう寝ているぜ。お前も今の内に二階へ行って、早く一寝入りして来いよ。」「うん、――昨夜夜っぴて煙草ばかり呑んでいたもんだから、すっかり舌が荒れてしま・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ その後は、ただ、頭がぼんやりして、眠いということよりほかに、何も考えられなかった。 芥川竜之介 「葬儀記」
一 この少年は、名を知られなかった。私は仮にケーと名づけておきます。 ケーがこの世界を旅行したことがありました。ある日、彼は不思議な町にきました。この町は「眠い町」という名がついておりました。見ると、なんとなく活気がない。ま・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・――ああ眠い」 欠伸をして、つるりと顔を撫ぜた。昨夜から徹夜をしているらしいことは、皮膚の色で判った。 橙色の罫のはいった半ぺらの原稿用紙には「時代の小説家」という題と名前が書かれているだけで、あとは空白だった。私はその題を見ただけ・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ 寿子はベソをかきながら、父のあとについて蚊帳の中へはいろうとすると、「お前は蚊帳の外で、出来るまで弾くんだ」 という父の声が来た。 寿子は眠い眼をこすりながら、弾き出した。庄之助は蚊帳の中で聴いていた。「もう一度。出来・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・だし抜けに、荒々しく揺すぶって、柳吉が眠い眼をあけると、「阿呆んだら」そして唇をとがらして柳吉の顔へもって行った。 あくる日、二人で改めて自由軒へ行き、帰りに高津のおきんの所へ仲の良い夫婦の顔を出した。ことを知っていたおきんは、柳吉・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・』『眠いなア、』僕は実際眠かった。しかし人々が上陸の用意をするようだから、目をこすりこすり起きて見るとすぐ僕の目についたのは鎌のような月であった。 船は陸とも島ともわからない山の根近く来て帆を下ろしていた。陸の方では燈火一つ見えない・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・『自分が眠いのだよ。』 五十を五つ六つ越えたらしい小さな老母が煤ぶった被中炉に火を入れながらつぶやいた。 店の障子が風に吹かれてがたがたすると思うとパラパラと雨を吹きつける音が微かにした。『もう店の戸を引き寄せて置きな、』と・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・昨夜小母さんがにわかに黙ってしまったのは、眠いからばかりではなかったらしい。どういうことなのであろうかとしきりに考えてみる。 後から鈴の音が来る。自分はわが考えの中で鳴るのかと思う。前から藁を背負った男が来る。後で、「ごめんなんせ」・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ひどく眠い。机の上の電話で、階下の帳場へ時間を聞いた。さむらいには時計が無いのである。六時四十分。いまから寝ては、宿の者に軽蔑されるような気がした。さむらいは立ち上り、どてらの上に紺絣の羽織をひっかけ、鞄から財布を取り出し、ちょっとその内容・・・ 太宰治 「佐渡」
出典:青空文庫