・・・吾とは何ぞやWhat am I ?なんちょう馬鹿な問を発して自から苦ものがあるが到底知れないことは如何にしても知れるもんでない、とこう言って嘲笑を洩らした人があります。世間並からいうとその通りです、然しこの問は必ずしもその答を求むるが為めに・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 以て如何に熱狂的だったかが知れるだろう。今度は、日清戦争のときの比ではなかった。戦争小説は、量的には無数に現れた。江見水蔭だけでも、百三十四篇を書いている。しかしながら、その多くは日清戦争当時と同じく、真面目な文学的努力になる・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・骨董が重んぜられ、骨董蒐集が行われるお蔭で、世界の文明史が血肉を具し脈絡が知れるに至るのであり、今までの光輝がわが曹の頭上にかがやき、香気が我らの胸に逼って、そして今人をして古文明を味わわしめ、それからまた古人とは異なった文明を開拓させるに・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・この港はかつて騎馬にて一遊せし地なれば、我が思う人はありやなしや、我が面を知れる人もあるなれど、海上煙り罩めて浪もおだやかならず、夜の闇きもたよりあしければ、船に留まることとして上陸せず。都鳥に似たる「ごめ」という水禽のみ、黒み行く浪の上に・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・男等の位置と白楊の位置とが変るので、その男等が歩いているという事がやっと知れるのである。七人とも上着の扣鈕をみな掛けて、襟を立てて、両手をずぼんの隠しに入れている。話声もしない。笑声もしない。青い目で空を仰ぐような事もない。鈍い、悲しげな、・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・聞くまい。知れる時には知れるのだ。自分はなぜこんなに藤さんの事を気にするのであろう。たんに好奇心というにすぎないのであろうか。 この時自分は、浜の堤の両側に背丈よりも高い枯薄が透間もなく生え続いた中を行く。浪がひたひたと石崖に当る。ほど・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・困ることあるべしと存じられ候ところも、むりしての御奉仕ゆえ、本日かぎりよそからの借銭は必ず必ず思いとどまるよう、万やむを得ぬ場合は、当方へ御申越願度く、でき得る限りの御辛抱ねがいたく、このこと兄上様へ知れると一大事につき、今回の所は私が一時・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・一点にごらぬ清らかの生活を営み、友にも厚き好学の青年、創作に於いては秀抜の技量を有し、その日その日の暮しに困らぬほどの財産さえあったのに、サラリイマンを尊び、あこがれ、ついには恐れて、おのが知れる限りのサラリイマンに、阿諛、追従、見るにしの・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ この文は鹿持翁の筆なればおおよそ小百年前のことにして孕のジャンはこのほどの昔よりもすでにその伝があったことが知れる。」寺石氏はこのジャンの意味の転用に関する上記の説の誤謬を指摘している。また終わりに諏訪湖の神渡りの音響の事を引き、・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・しかし私の知れる範囲内では、蓄音機レコードの製造工場へ聘せられて専心その改良に没頭している理学士は一人もないようである。もっともこれは別に蓄音機のみに関した事ではない。当然専門の理学士によってのみ初めてできうべき器械類が、そういう人の手によ・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
出典:青空文庫