・・・ この男がどんな人物だと云うことは、一目見れば知れる。態度はいかにも威厳があって、自信力に富んでいるらしい。顔は賢そうで、煎じ詰めたようで、やや疲労の気色を帯びている。そう云う態度や顔に適っているのはこの男の周囲で、隅から隅まで一定の様・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅だったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたね・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ゴム靴の底のざりざりの摩擦がはっきり知れる。滑らない。大丈夫だ。さらさら水が落ちている。靴はビチャビチャ云っている。みんないい。それにみんなは後からついて来る。苔がきれいにはえている。実に円く柔らかに水がこの瀑のところを削ったもんだ。こ・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・ 恭二が、じきに、フー、フーといびきをかき始めると、急に、夜の更けたのが知れる様に、妙にあたりがシインとなって仕舞った。 部屋の工合が違うので、ゴロゴロ寝返りを打ちながらうかうかとさそわれ気味で、出て来は来ても、これからたのみに行っ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・今まで仕様事なしに私の貧しい知識の知れる限りで死の事を考えて居た心に又一つ新らしい考える気持を落して行く。 死に対する新たなるしかも大変強い恐れとその美化する力の大なるために起る不思議な危い魅力とがかたまって一つの私には解けない謎の様な・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・試みに帝大文学の初の数十冊を始として、同時に出た博文館の太陽以下の諸雑誌、東京の諸新聞を見たならば、鴎外と云う名に幾条の箭が中っているかが知れるだろう。鴎外という名はこの乱軍の間に聞こえなくなった。鴎外漁史はここに死んだ。読者は新年の初刊を・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・筋肉の緊まった、細く固く出来た体だということが一目で知れる。 暫く見ていた花房は、駒下駄を脱ぎ棄てて、一足敷居の上に上がった。その刹那の事である。病人は釣り上げた鯉のように、煎餅布団の上で跳ね上がった。 花房は右の片足を敷居に踏み掛・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・こんな死にぞこないの、油虫みたいな奴は、どこへへたばりさらすか知れるかい。」「もう止さえせ。昼日中喧嘩して!」とお留は口を入れた。「お母ア、黙っとりゃええんじゃ。」「秋公頼むわ。どこへでもええで寝さしてくれよ。」と安次は云った。・・・ 横光利一 「南北」
・・・ 予は自ら知れる限りにおいて生まれながらの反逆者であった。小学の児童としては楠正成を非難する心を持ち、中学の少年としては教育者の僭越と無精神とを呪った。教育者の権威に煩わされなくなった時代には儕輩の愛校心を嘲り学問研究の熱心を軽蔑した。・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・世間に知れるという怖れが主人公の苦しみの原因であって、初めに女主人公と関係したことは何の苦しみをもひき起こしていないように見えたからである。この点はその後ゆっくりこの作を読み返してみても、やはりそうだと思った。最初関係するところは非常に注意・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
出典:青空文庫