・・・ 三 遍歴と立宗 十二歳にして救世の知恵を求めて清澄山に登った日蓮は、諸山遍歴の後、三十二歳の四月再び清澄山に帰って立教開宗を宣するまで、二十年間をひたすら疑団の解決のために思索し、研学したのであった。 はじめ清澄山で・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・その時分の研学の仲間に南ロシアから来ている女学生があって、その後一九〇三年にこの人と結婚したが数年後に離婚した。ずっと後に従妹のエルゼ・アインシュタインを迎えて幸福な家庭を作っているという事である。 一九〇一年、スイス滞在五年の後にチュ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ それで、研学の徒はあまり頭のいい先生にうっかり助言を請うてはいけない。きっと前途に重畳する難関を一つ一つしらみつぶしに枚挙されてそうして自分のせっかく楽しみにしている企図の絶望を宣告されるからである。委細かまわず着手してみると存外指摘・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・高等学校時代厳父の死に会い、当時家計豊かでなかったため亡父の故旧の配慮によって岩崎男爵家の私塾に寄食し、大学卒業当時まで引きつづき同家子弟の研学の相手をした。卒業後長崎三菱造船所に入って実地の修業をした後、三十四年に帰京して大学院に入り、同・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・若くてのんきで自由な頭脳を所有する学生諸君が暑苦しい研学の道程であまりに濃厚になったであろうと思われる血液を少しばかり薄めるための一杯のソーダ水として、あるいはまたアカデミックな精白米の滋味に食い飽きて一種のヴィタミン欠乏症にかかる恐れのあ・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・憲法草案第二十一条には「国民はすべて研学の自由を保護せらるべきこと」とあるのである。 五百八十余万人の失業者、そのほかにかくされて深刻な社会問題となっている夥しい女子失業者は、同じく第二十五条「国民は総て勤労の権利を有す」という条項を、・・・ 宮本百合子 「現実の必要」
出典:青空文庫